受験生が落とされた先は年下女子の足下でした【前期】

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私が大学受験を終えたくらいの頃に書いた話だったと思います。執筆に時間をかけすぎるとネタの鮮度が失われて自分自身でえっちだと思えなくなってしまうという教訓を得ました。しかし現在でも依然として話をコンパクトにまとめるのは苦手です。

1.

夏休み。受験生である俺は毎日朝から図書館に通っている。ここに来れば周りが皆勉強しているから刺激にもなるし、周りに気を散らすようなものは何もないから集中できる…はずだった。

図書館では学校の教室ほどの広さの室内に、長机が等間隔で6個ほど置かれている。

俺の集中力を乱しているのは、一つ前の長机で勉強する1人の女子。女の子は、夏らしく袖の短い服を身に纏い、下にはショートパンツを履き、肌は健康的に焼け、ビーチサンダルを履いているという格好だった。この部屋を借りる時に書く必要がある記入欄を見るに、彼女は中学3年生のようで、高校受験の勉強のためにここに来ているのだろう。

それだけのことなら何の問題もなかった。だがふとした時、彼女はビーチサンダルを脱ぎ捨てて、惜しげもなく素足を露わにするのだ。

サンダルという拘束から解放された素足は、様々な動きを見せる。所在無げに空中で漂っていたり、くねくねと不規則に指を動かしたり。俺はその足の虜にされてしまい、机に向かっていても前の足が気になって、度々目がいってしまう。

中でも蠱惑的なのが、椅子の下から足の裏をこちらに向けてきて、つま先をぎゅっと裏の方にたたむ仕草だった。その仕草を初めて目にした日の夜、俺は久方ぶりに欲を解放させたのだった。つま先をぎゅっとすると、足は少し赤みを帯びるように変色し、曲げている部分の周辺は何層もの横の皺がたつ。それは決して可愛らしい見た目とは言えず、むしろ気味が悪いという方が近いかもしれないが、だからこそ興奮を感じるのだ。どんなに可憐な少女でも足の裏には汚さを持っていて、そしてそれは普段は靴の底や靴下に隠れているもので、なかなか目にすることができない。例の仕草は、この両の要素がさらに強まったものなのだ。

 

そして次の日の朝図書館に行くと、彼女はまたほとんど変わらない格好で、昨日と同じ場所に座っていたのだ。

俺もつい同じ場所に座ってしまい、再び集中力を乱される羽目になる。

その次の日も、そのまた次の日も、そして今日も同じことを繰り返していた。

 

結局、今日も少女の足の動きに意識を支配され、30ページ終わらせる予定だった問題集は、その半分も解くことができなかったという結果に終わってしまった。

俺は何をやっているんだ。と思わずにはいられなかった。集中したいのなら、席を替えて少女が目に入らないところで勉強すればいいだけの話なのだ。頭ではそう分かっていても、またあの席に座ってしまう。そしてどういうわけか彼女もまた、ずっとおなじ席に座り続けるのだった。考えてみれば、少女は自分の足が性的な目で見られているなど知るはずもないのだから、無理もない話だった。少女は無意識で足を動かしているだけ。しかし俺はその無意識に弄ばれているのだ。

夜、今日は出す気になれず、そのまま眠りに落ちてしまった。そのせいだろうか、こんな夢を見てしまったのは。

少女が勉強する机。その下には小さくなった俺が迷い込んでいて、少女の巨大な足の不規則な動きに翻弄され、最後には気づかれることなく踏み潰されてしまうのだ。上空から空を覆い尽くすほどの大きさの足裏が迫ってきて、潰されそうになった瞬間で夢は覚めてしまった。起きてから、パンツがぐっしょりと濡れていることに気づいた。

 

その日、俺の少女の足に対する見方が変わった。机の下で蠢めく素足。その近くで逃げ惑っているちっぽけで卑しい人間の姿を想像してみる。その動きは、ここから見ていれば小さなものでしかなかった。しかしその少女の僅かな無意識の動きに、小人は絶えず翻弄されるのだ。そしてついにその足の餌食になったとしても、少女は床に落ちたゴミを踏んだ程度にしか思わず、興味を寄せずにそのまま勉強を続けるだろう。

最早勉強どころではなかった。一度でいいから、小さくなってあの絶対不可侵の領域――少女の足元に足を踏み入れてみたかった。足に翻弄されたいという願望。そしてそれだけでなく、小さくなれば少女の巨大な足を眺めることができる。そして距離的なところでも、今の自分がそこまで近づけたら即不審者扱いだろうという至近距離まで、足に体を近づけることができるのだ。そこまで近づければ、少女の足が発する熱気、そして臭気を全身に浴びるようにして感じることができる。さらには触れることも、体を埋めることだって気づかれることなくできるかもしれない。

その様子を夢想していたら、いつしか自習室が閉められる時間になっていた。

 

その日はまたおかしな夢を見た。しかし、昨日のような夢ではない。周りに何もなくひたすら真っさらな風景が広がっている。意識も割りにはっきりとしていて、次第にこの光景に不信感を抱き始める。

ここはどこなんだ。

そんな言葉が口をついて出てきた時、どこからともなく声が聞こえてきた。

「あなたの願いを一つだけ答えて見せよ。そうすればこの夢はたちまち覚めて、起きたときにはその願いが叶えられていることでしょう」

「なんだ、一体誰だ!」

そうまくし立てても、答えはどこからも帰ってこない。

願い。頭を混乱させながらも、話された内容はなんとか聞き入れていた。

それはもちろん、第一志望校に合格すること。それさえ達成できるのならば、手段は選ばないつもりでさえいた。

その旨を伝えると、声の主も理解を示したようだった。

「本当にその願いで良いのですね?」

真剣な調子で聞かれ、俺は即答することができなかった。その存在に気づいた上で、抑えていたもう一つの願い。

「他に、何かあるようですね」

確かに今となっては、合格よりもその願いの方が強かった。しかし、ひとたびそのことを口にしてしまえば、もう後戻りできなくなってしまうような気がするのだ。

「どんな願いでもいいのか?例えば、現実では絶対に起こり得ないようなことでも」

「もちろん、なんだって叶えられます」

その願いは、どうしたって自分の力では叶えられないような願い。

大学に合格するなんてことは、自分の努力でどうにでもなることだ。

それに、どうせ夢なのだ。本当に叶えられるかどうかなど確かではない。

ならば、自分の気持ちに嘘つくなんてことせず、ダメでもともとの気持ちで本当の願いを言うべきだ。

「俺を、体を小さくできるようにしてくれないか」

 

「たった一度、一度だけで良いんだ」

 

「あなたの願い、確かに聞き入れました」

 

そこで意識はぷつんと途切れた。

朝起きると、俺は何かに駆り立てられるように、すぐに図書館に向かった。

件の少女は、最近になってますます早く図書館に来るようになった。今までは俺が1番乗りだったのが、ここ数日はずっと彼女に取られている。

図書館にたどり着くと、やはり少女はすでに勉強を始めていた。周りには誰もおらず、今なら誰にも気づかれずに小さくなるチャンスだった。

やがて、少女はいつものように裸足をサンダルから解放する。動機が激しくなる。今から俺は小さくなって、あの足を眺めることになる。

(よし…)

心の準備を整えて、いざ素足の谷へとダイブしようと、心の中で叫んだ。

しかし、言った通りにしても何か変化が起きたわけでもなかった。

(…やっぱり、夢は夢か)

こうなることは分かっていたつもりだった。もし小さくなることができなければ、今日できっぱり足を洗って勉強に集中すると決めていた。

すると、3分ほどたったところで、体がなんだか熱くなっていくのを感じた。

(なんだこれ、まずい…!)

しかし熱は収まる様子もなく、やがて俺はその場で意識を失ってしまうのだった。

 

2.

(ここは…?)

目を覚ました時、白く広大な床に俺は横たわっていた。

なんだか薄暗く、上を見上げると、遥か頭上に鉛色の天井が設けられていた。

(ひょっとして…成功した!?)

視線を天井から離して別の方向を向くと、映し出されたとんでもない光景思わず俺は腰を抜かした。

俺の背丈の3倍も4倍もある二頭の素足が、屋根の外の世界で戯れていたのだ。

俺はすっかり魅了されていた。素足は近くに乱雑に置かれたサンダルを、足指を器用に使い弄んで、しばらくすると飽きたのかそのサンダルを再び近くの地面に脱ぎ捨てた。

重量のあるサンダルが地面に落とされたとき、爆発音に似た音が響き、一帯が震動した。風圧がここまで届いた。どう見積もったって1トンはある物体だった。小さな俺が100人集まったって1ミリでも動かすことができないような物体を、この中学生の少女は、足の先だけで転がし、弄んだのだ。

過去に類を見ないほど高揚していた。この屋根の外に、夢の世界が広がっている。しかしひとたび足を踏み入れてしまえば、常に死と隣り合わせでいなければならない。あるいは気づかれてしまえば、気持ち悪がられて即座に潰されてしまうか、中学生の旺盛な好奇心の矛先になり、捕らえられてしまうかもしれない。

迷っていた俺の背中を押したのは、彼女の足が見せた仕草だった。

それまで地面にぺったりとくっついていた足。その踵が持ち上がり始め、少しずつ隠されていたその足の裏が露わになっていった。そしてついにつま先を下にしたその全貌が明かされ、見せつけるかのように足の裏の面は俺のいる方に向けられていた。

俺は言葉もなくただその光景を目に焼き付けていた。息を飲む。彼女がこうして足の裏を後ろに向けるとき、次にする仕草を俺は知っている。

どこにも起伏など見当たらなかった彼女の薄赤い足の裏に、つま先の方から皺が発生していき、その色もさらに赤みを帯びる。

つま先は伸びては縮み、伸びては縮みを繰り返す。その指の動きに誘われるように、俺の体は自然と屋根の外に出て、彼女の足が蠢く方へふらふらと歩いていった。

だんだんと近づいていくに連れて、足の全貌を捉えられなくなっていく。しかしつま先の部分は最後までフェードアウトすることなく、細部まではっきりと見えるようになっていった。

俺はすっかり、彼女の天然のハニートラップにかかってしまった。

少女の足は視覚だけでなく、嗅覚までも刺激する。恐らく普通の大きさであれば全く気にならない程度の臭い。しかしそれだけでも、小さな俺には十分過ぎる強さだった。

つま先も見てみたい

 

…………

 

その時だった。

少女の膝を伝って、岩のような大きさの物が転がり落ちて来るのが見えた。

 

間一髪その物体をかわすことができ、そのまま物体は重く鈍い音を発して俺のすぐ後ろに不時着した。振り返って見てみると、その物体の正体は大きな消しゴムだった。消しゴムでこれほどの大きさ。こんなものが直撃したら即死してしまっていただろう。ほっと一息ついて、再び少女が座る方を向いた。

(え?)

その時、少女の足がゆっくりと俺のいる方に伸びてきた。何かを探るようにくにくにと指を蠢かせながら、その進路はぶれることなく俺にだんだんと迫ってくる。俺を探している?気づかれた?と焦って色々なことを考えていくうちに、一つの考えが浮かんできた。

少女は俺ではなく、俺の後ろにある消しゴムを足で取ろうとしているのだ。

そういえば確かに、少女は消しゴムを落としたとき、横着して足で回収する癖があった。

指と指の間で器用に挟んだり、指の腹の辺りで上手く掴んだり、両の足で持ち上げたり、バリエーションは様々だった。消しゴムを取るとき、少女は下を確認せず、足を地面に這わせて手応えを感じるまで探し続けるのだ。

足下で、自分のなんてことのない癖に1人の小人が翻弄されているなど少女は夢にも思わないだろう。

それならば、今すぐ横の離れたところに移動すれば、その動作に巻き込まれることは回避できるはずだ。

だが、できなかった。今までと違い、明確な意思を持って足は動いている。実際の狙いは違うにしても、俺のいる方に向かって。恐怖で足が動かなくなってしまい、ついにはへたり込んでしまう。恐ろしいほど一定のペースで、しかし確実に足は迫ってくる。

地面に腰をつけたまま後ずさる。しかしそれでは微々たる距離しか動くことができず、迫り来る足から逃れることはできない。

「く、来るな…」

全貌をギリギリ捉えることができないほどその大きさは圧倒的だった。

それまで不規則に蠢いていただけの指が一度静止し、すぐに閉じられていた指と指の間が開かれる。俺の気配を感じ取ったのだろうか。さらけ出された指の溝は、明らかに俺を受け入れるために繕われたものだった。

指が開かれた瞬間、ジメッとした空気が俺の方に押し寄せてきた。それまでずっと指と指の間に凝縮されていた空気が解放されたのだ。それまでも少女の足下ではほのかにすえたような臭いが漂っていたが、それとは比べ物にならない濃度だった。むせ返っていると、両脇に肌色の壁が現れる。これが少女の足の指だと分かった瞬間、強い圧迫を受けた。加えて指の股の臭いは強烈で、ほんの少し汗で湿っているのが不快指数を高めて

いる。指と指の間の暴れようとしても身動きが取れず、指を押し広げようと試みても、ほんの少しずらすことさえできなかった。少女の一本ですら今の俺には動かさないのだ。

 

3.

(ん…?)

机に向かっていた少女は、足の指の間に挟まったモノに違和を感じていた。

うっかり消しゴムを床に落としてしまい、面倒くさがりな性格から足を伸ばして取ろうとしたところに、このような

モノが挟まったのである。

足をゆっくりと引っ込めている途中、その指の間のモノが、モゾモゾと動いているのを感じた。

(なんだろ…虫か何かかな…)

指の股で動かれるのがくすぐったかったのでほんの少し指に力を入れると、すぐにそれは大人しくなった。

(なんで机の下に…キモいなあ…でもここで逃すのもやだし、姿だけ確認したらサンダルで念入りに踏み潰しておこ)

虫を挟んでいる足をそのまま膝の上まで持ってくる。片足だけあぐらをかいているような格好で、見られてしまうと恥ずかしいが、今この場には誰もいないので気にすることはないだろう。さっきまで後ろで勉強していたあの人も、いつの間にいなくなっている。

指の間でもがいている虫を良く観察する。しかし全貌が分からないので何の生き物か分からず、指から解放してやり手のひらの上に乗せて見てみることにした。

 

 

4.

ようやく指の締め付けから解放されると、今度は開けた肌色の地面に降ろされた。キョロキョロと辺りを見回していたが、その動きはある一点でとまることになる。

「ひっ…」

情けない声と共に、弾力のある地面に尻もちをついてしまう。視線の先にあるのは、気が遠くなるほど大きさで、しかし確かに俺が毎日見ていたはずの、少女の顔だった。

その少女の眼は、紛れもなく俺の姿を捉えていた。その視線の重圧は、蛇に睨まれた蛙どころの話ではない。足がガタガタと震えて動けない。もっとも、動けたところでこんな小さな体では少女の視界から逃れることなど不可能に近いだろう。見つかってしまった時点で、ちっぽけな虫に助かる道など存在しないのだ。

「人間…?」

低く、かつてないほど鈍重に響く声と、目が細められるのを見て、身が縮み上がる思いがした。そして次の瞬間、それまでは遠くにあった顔が、一瞬にして俺の手が届きそうなほどの近さにまで押しよってきた。

先ほどまでは離れていたからかろうじて全貌を掴むことができたが、今見えているのは、自分の身体ほと大きく、不気味なほど透き通った黒い少女の瞳だけ。

「えっと、会話できますか?」

淡々としていて感情の読めない声で少女が二言目を放った。感情が読めないということは、嫌悪感や殺意をあらわにされるよりもよほど俺を恐怖させた。一応意思疎通を試みてくれているようだが、こっちが下手な行動をとれば、静かに指で潰そうとしてきそうな感じもあった。俺を潰した後、黙ってポケットからティッシュを取り出し、指先に着いた俺の死骸を拭き取って、何もなかったように机に向かうその姿が目に浮かぶようだった。

「は、はい…」

声が震えた。およそ年下の女子の目の前でそんな声を発したら、男なら誰でも恥じるほどの情けない声だった。

「…すみません、全然聞こえないんですけど」

相変わらず声色は無色透明だったが、明らかに機嫌を悪くしている口ぶりだった。

「ひっ、ご、ごめんなさい…!」

とにかく殺されたくない一心で謝ったが、謝った時にはすでに少女は別の方を向いていて、自分の声が届いていたのかいないのかも俺には分からなかった。かと思うと、すぐに少女は逆の方を向いた。何か周りを気にしているようだった。

「…ここ、一応図書館なので、あとで家に帰ったときに話しましょう」

そうだった、ここはさっきまで俺も静かに勉強していた図書館なのだ。さっきから少女の機嫌が悪そうな理由が分かった。こんな場所でひとりごと(周りの人達にはひとりごとに見えているだろう)を言っていたら、悪い目立ち方をするのは必至だ。

それだけでなく、少女は勉強に集中したかったはずだ。だからもし足指に捕らえられていたのが俺ではなく虫か何かであれば、即座に潰して勉強に戻っていたことだろう。しかし、縮んだ人間とあれば話は別だ。潰してしまえばれっきとした殺人になるし、いつ何かに命を奪われてもおかしくないほど弱々しいのに、それを見捨ててしまうのは寝覚めが悪い。だから最初に見つけた者が保護してあげるしかない。受験勉強で忙しい少女にとっては、どこの誰とも知らない、虫と大して変わらない大きさの年上の男の世話など、面倒ごと以外の何者でもないのではないか?なんで自分がこんなヤツの面倒を見てやらなきゃいけないんだと、心の中では思っているのではないか?

少女は俺をしばらく机の上に放置して、解いている途中だったらしい問題集を片付けていた。その間は少しも俺のことなんて気にかけなかった。あまりに雑な扱いではないかと思わないでもなかったが、このときに限っては助かった。命拾いをしたとさえ思った。縮んだ体で初めて少女の素足を見た時から今までずっとペニスが勃ちっぱなしでいるのに、気づかれずに済んだのだから。もし、赤の他人の俺が自分に興奮していると気づかれたら、少女はいったいどんな反応をするだろうか…考えるだけで恐ろしい。だがその想像でより一層性器を大きくしている自分がいるのも確かだった。

少女が問題を解いている間、俺は特にすることもなかったので、横から問題集と睨み合う少女の顔を眺めていた。見るのはいつも後ろ姿ばかりで、まじまじと顔を見つめたことはなかったが、なかなか可愛らしい顔だちをしている。こんな美少女の素足で踏まれることを、俺は今まで何度夢見たことか分からない。しかし、今俺が実際にあの足で踏みつけられたとしても、俺は手放しでその状況に興奮することはできないだろう。踏み殺されるかもしれない、という恐怖が常につきまとう。いかなる性的興奮をもってしても、死の恐怖を抑えることなど不可能なのだ。それは、あのとき怪物じみた足の指に挟まれてから今に至るまで、嫌という程思い知らされた。それまでの自分を含め「~に踏み潰されたい」「~に食べられたい」などとのたまっている連中の脳内のどれだけお花畑であったことか…。しかしそうは言っても、俺がこの少女の素足に惨めに踏みにじられるその光景を想像すると、やはり興奮を感じずにはいられないのである。しかも、一度この小さな姿で、自分の体の何倍もの大きさの少女の素足を目の当たりにしたおかげで、その妄想は以前よりもはるかに質の高いものになっていた。視覚的な要素だけでなく、足が放つ独特の臭い、床との接触時だったり、素足同士が擦れあった時などに生じる音、さらには、あの足指の間にぎゅむっと挟まれたときの感触、指の股に溜まった足汗のじっとりとした湿り気、生ぬるい足指の温度までもが付け加えられたのだ。妄想が捗るとはこういう状態を指していうのだろう。耽っている間に2時間余り過ぎていたようで、意識が現実に戻ったときには、もうすでに少女が帰りの支度を始めていた。問題集を鞄にしまって、最後に机の上に残ったのは、少女のペンケースと小さな俺だけ。少女は突如俺の体を乱暴に摘んだ。そして次には俺の体はペンケースの中に放り込まれた。抗議の声をあげようとしたが、少女がすぐにペンケースのファスナーを閉じたので遮断された。ペンケースの中はスス臭く決していい環境とは言えなかった。おまけに、普段

少女が使用している文房具が入れられているので、少女の手垢の臭いもほのかに漂っていた。しかしこれから起きることに比べれば、環境の悪さなど大した問題ではなかった。ぐぐっと、俺を収容するペンケースごと持ち上げられたかと思うと、ペンケースはすぐにまた急降下していった。ペンケースの中から外の景色は当然見ることができなくて、何が起きているのか分からないし、これから何が起きるのか知ることすら許されていない。おおかた、少女がペンケースを鞄に放り込んだのだろう。落下の衝撃の後息つく間もなく、継続する激しい揺れに襲われた。先の俺の見立てが正しいのであれば、少女が鞄を持って歩き出したのだろう。少女の歩行のリズムに合わせて起きる揺れは、下手な船頭が舵をとる船よりもよほど俺を酔わせた。そればかりか、揺さぶられた体が何度も身の周りの硬質な文房具に打ち付けられ、体に何個も痣ができていそうなほどだった。途中胃の中のものを筆箱の中に戻してしまったときは血の気も引いた。もし自分が愛用するペンケースに、よく知らない男の吐瀉物がかかっているのを見て、不快にならない女がいるはずがない。どうにかして吐瀉物の処理をしたかったが、真っ暗なのでどこにかかったのかも分からない。俺は焦りに焦っていた。ひとしきり焦った後、今度は苛立ちを覚え始めた。こんな過酷な環境に閉じ込められた被害者の俺が、どうして戻したくらいでこんなに焦らなくてはいけないのか。

15分ほど揺られていただろうか。ようやく揺れが収まったかと思うと、またさっきのようにペンケースが急に持ち上げられるのを感じた。上の方でファスナーが開かれ、中に光が差し込んでいく。ようやく出してもらえると思ってほっとした瞬間だった。世界がひっくり返ったのは。

中に入っていた文房具共々、俺の体は宙に放り出された。そして、硬い地面に背中を打ち付けられた。どうにか受け身をとれたので、着地による痛みは緩和することができたものの、間髪いれずに文房具の雪崩に襲われて、瓦礫のように積もった文房具から這い出すのに苦労した。這い出た時も、チリだかカスのようなものがパラパラと上から降ってきた。頭上では、さっきまで俺を収容していたペンケースが、パタパタと少女の手によって振られていた。

少女が、まるで振りかけをご飯にかけるかのような、靴に入り込んだ小石を振り落とすような雑なやり方で俺をペンケースから出したのだと理解した。流石に今回という今回は堪忍袋の緒が切れた。この少女は完全に俺をとるに足らない存在と見て調子に乗っている。お灸を据えてやらなければ気が済まなかった。

 

「おい!いくらなんでも雑に扱いすぎだっ!」

ペンケースを振っていた少女の手がピタリと止まった。一転、少女の視線は俺のいる方に注がれる。

「えっと、なんですか…?早口でよく聞こえませんでした」

あのとき聞いたのと同じ、無色透明の声だった。俺の体から威勢が抜け落ちて、がたがたと震え始めた。俺はたった数秒前の自分の行動を後悔に後悔した。ちょっと考えれば分かったはずだ、立場はどうあがいても向こうが上なのだと、少女の機嫌を損ねるような言動は、命取りになりかねないと。

「あ、いや…」

煮え切らない俺の答えに、少女は今度ははっきりと苛立ちを顔に映していた。ひょっとしたら、少女はただ純粋に聞こえなかったから聞き返しただけなのかもしれない。でも今の俺の反応で、少女は俺が何か身の程知らずなことを言ったのだと悟ったに違いない。

「…聞こえなかったのでもう一度言ってください、って言ってるんですけど」

言わなきゃ、殺される。桁違いに大きな年下の少女に凄まれて、本気でそう思った。

「運ぶとき、もうちょっと丁寧に運んでくれると助かるなー、って…」

情けなくひきつった笑顔で答えていた。少女の冷たい視線を注がれている間、俺は泣き出しそうなほどに恐怖していた。けれど泣いたら終わりだ。俺のなけなしの矜持はくだけ散り、少女は俺のことをいよいよ見下すだろう。いや、泣くか泣かないか以前に、少女は果たして俺の勘違い甚だしい発言を許してくれるのかどうか。

「ああ…そうですね、すみませんでした。次回から気をつけます」

先輩の意見にどうしても納得がいかないが、取り合うのも面倒だから渋々聞き入れた、なんだかそういう返事だった。とにかく、少女不敬罪による死刑は免れたらしい。俺は自分の命が少女の裁量に委ねられていることを、改めて思い知った。

 

 

「何これ…」

散らかった文房具をペンケースに戻していた少女は、自分のシャーペンを手にとって、訝しげにある部分に目を凝らしていた。

その部分には、どろどろとした液体が付着していた。生きた心地がまるでしなかった。少女の目からも、指先で拭えてしまうほどの微量ではあるが、それが何者かの吐瀉物であることは明らかだったに違いない。

「怒りませんから正直に答えてください。吐いたんですか?」

「すみません…」

「…」

信じられない、という目で俺を見つめてくる。そのせいで、少女は吐瀉物が、シャーペンを持つ自分の指に垂れてきていることに気づいていなかった。

「いやっ…!」

吐瀉物が少女の親指に触れた次の瞬間、シャーペンはキラキラと輝く飛沫を振り撒いて、宙を舞っていた。そして、俺のそばにゴトンと落ちた。

青ざめた少女は、すぐに手元に置かれていたウェットティッシュで親指に着いた吐瀉物を拭き取った。吐瀉物を拭った後も、ウェットティッシュを三枚も使って、執拗に親指を吹き続けていた。次に、俺のそばに倒れていたシャーペンを奪って、吐瀉物が伝った箇所を、何度も何度も拭いた。拭いた末に、ゴミ箱に投げ捨てた。そして、しばらく苦々しい表情でペンケースを見つめてから、そのペンケースも乱雑にゴミ箱に突っ込んでいた。

俺はゾッとしながらその一部始終を見ていた。口でこそ何も言わなかったが、少女の一挙一動が、俺を穢らわしい、穢らわしい!と罵っているようなものだった。確かにいつも使っている文房具に吐瀉物をかけられた気分は察せられるが、それにしたってこの、俺に対しての配慮の無さはどうだ。誰かが嘔吐した時、人間は吐瀉物に対しての嫌悪感、不快感はもちろん抱くが、少なからず吐いた人間に対しての心配や同情も湧いてくるものだ。彼女の反応は、およそ人間に対してのものとは思えなかった。まるで、給食のスープの上にハエが浮いていたときのようだ。スープで溺れ死んだことをかわいそうとも思わず、ふやけたハエの死骸を、本当に触れるのも嫌だという手つきですくい上げて、ゴミ箱に捨てた後は脱兎の勢いで教室を飛び出し、廊下の水道で石鹸をたっぷりつけて、時間をかけて、しっかり、何度も手を洗い、席に戻っても、あのスープだけには一口も手をつけない……実際にハエが浸かっていたのはほんの一部分だけなのに、スープ全体がハエで穢れてしまったかのように、そんなスープを飲むくらいなら死んだ方がいくらかマシとでもいう風に、口をつけようとしない……。少女の、俺の吐瀉物、そして嘔吐した俺に対しての反応は、そういう反応だった。

 

5.

少女はしばらく、机に頬杖をついて押し黙っていた。その横にちょこなんと置かれていた俺も少女に下手に声をかけることができず、沈黙と張り詰めた空気が流れていた。

ところへ、ふいと少女がこちらに顔を向けてきて、目が合ってしまった。まずい、少し見つめすぎてしまったかもしれない。俺はまた何かされると思って身構えていたが、少女は損害落ち着いた声で話しかけてきた。

「あの…おそらくですけど、いつもあの図書館にいらっしゃっている方ですよね」

向こうも俺のことを認識していたのか、と少しヒヤリとした。バレてはいないだろうか。俺が、その実勉強のためでなく、この少女の足を拝むために毎日図書館に通っていたということを、気づかれていたのではないか。少女の表情からは何も読み取ることができない。

「う、うん…きみの方こそ、あそこでいつも勉強頑張ってるよね」

答えが早口気味になってしまう。今ので不審に思われていないか、気が気ではなかった。

「はい、でも勉強しても勉強しても結果がついてこなくて…だからイライラしていて、

さっきはあんな失礼なことを…すみません」

ところが少女は特に気にする様子もなく、そのまま話を進めていた。どうやら俺の杞憂だったらしい。俺は少女に悟られないように安堵をする。それにしても、先ほど俺のことを汚物同然に扱ったのはどうやらそういう事情があってのことらしい。ひどい話だと思ったが、同じ受験生として共感できるところもあって、俺は彼女を許す気になった。それに、謝ってくるとは思っていなかったから、なかなか素直なところもあるじゃないかと感心した。

イライラして、つい本心が出てしまってすみません、ともとれるような気がするが、それはあまり気にしないことにした。少女の謝罪の声が、あまり悪いことをしたと思っていなそうな調子だったのも、きっと気にしない方がいいことなのだろう。

「ところで、どうしてそんなに体が小さくなってしまったんですか」

そりゃ、これほど現実離れしているほど体の小さい人間を前にしたら、原因が気になるのは当然だ。

「えーっと…」

どう説明すれば良いものか。まさか、事実をそのまま話していいわけはあるまい。

「じ、実は俺にもよく分からないんだ。気づいたらこの体になってて、近くに誰かの大きな素足が見えたから、近づいて助けを求めようとして…」

「はあ…」

腑に落ちないという返事だった。もし、このまま少女があの強靭な指先を差し向けてきて、その指ひとつで俺を拷問にかけるようなことがあったら、俺はごまかし通すことができるだろうか?事実を言えば解放してもらえる、言わなければ、指先で骨を一箇所ずつ砕かれ、最後にはすり潰される。呻きをあげる小人に寸分の情も起こさず、反対の手では頬杖をつきながら、少女はもう一方の手の華奢な指先で淡々と小人を苛んでいく。やに鮮明にそんな図が思い浮かんだ。そして、もし少女が俺の口から語られる真実を聞いたら、少女は一体どんな反応を見せるだろうか。自分の素足に興奮で息を荒くするような変態に、この少女がなんの手も下さないようなことがあるとは思えなかった。

「まあ、分からないならしょうがないですよね」

ところが、やけにあっさり引き下がったから拍子抜けした。大丈夫、嘘がバレていたわけじゃなかった。そう自分に言い聞かせて、心臓の鼓動を鎮めようとした。

「でも、それっていつ体がもとに戻るかも分からないってことですか?」

その言葉にはっとする。確かに俺はあの夜、一度だけでいいから体を小さくできるようにしてほしいという願いを叶えて貰ったが、もとに戻る方法については何も聞かされていない。

「一生、その小ささのままかもしれない、ってことですよね」

目を逸らしたかったその可能性を、少女は容赦なく突きつけてくる。

――俺を、体を小さくできるようにしてくれないか。たった一度、一度だけで良いんだ。

俺は確かにこう伝えた。だが、たった一度、という部分……この部分がもし「たった一度小さくなることができれば、あとはもうその体のままで生きていくから、もとに戻れなくてもいい」という風に伝わっていたとしたら?

「そんなバカな!いつかはもとに戻るさ!いや、戻らないと試験が受けられないんだから、戻ってもらわないと困る…!」

「ふーん…大変ですね」

全く大変だと思ってなさそうな調子で少女が言った。ひとごとだと思いやがって、と毒突きたくもなるが、流石に機嫌を損ねたら恐ろしいのでやめておいた。

「考え方を変えてみたらどうですか?ずっとその体の小ささなら、受験勉強なんてする必要がそもそもありませんし、働く必要もありませんし、私ちょっと羨ましいくらいですよ」

確かに、この少女に飼われていれば生きていけるのだから、彼女の言い分も一理あった。受験勉強から逃れたいというのは、受験生なら誰もが一度は抱く願望だ。体が小さい故に与える食事も少なくて済むから、少女の負担も小さいだろう。確かにいいことずくめだと納得しかけたが、冷静になって考えてみると、少女はとんでもないことを口にしていることに気がついた。自分では何もせず、少女の与える餌だけで生かされる。それはまるで…

「そんなのまるで、君のペットじゃないか!」

「あ…本当ですね」

言われてみれば、という仕草をしただけで、少女には否定する気がまるでない。苛立ちが募る。こんな大きさでなければ…こんな、それこそペットみたいな大きさでなければ、力づくでもこの少女の舐め腐った態度を正してやったのに!

「別にいいんじゃないですか?私のペットで」

「え…?」

大真面目な顔で少女が言った。

「私、ペットの犬と野良犬だったら、ペットの犬の方が上だと思うんですよね」

俺は、ペットよりもむしろ野良という言葉に、人間のあり方からかけ離れた響きを感じ取ってゾッとした。

「俺は人間なんだから、野良もペットもないだろう!」

カッとなって反論した俺に、少女は少し目を丸くした後、小さく吹きだした。

「な、何がおかしい!」

「い、いえ…!そうですね、人間ですもんね」

笑いをこらえるようにして少女は言った。既に少女が俺を年上で敬うべき存在どころか、人間とすら見なしていなかったのは明白だった。

 

その日から、少女のペット…もとい居候としての生活が始まった。少女の言った通り、食事はきちんと1日三食、少女の食べ残しから出してもらえるので不足はなかった。また、少女は床の上に俺の生活スペースを設けて、精巧に作られた人形用の食卓やベッドを置き、ティッシュペーパーで簡単なトイレまで作ってくれた。おかげで、お持ち帰りされてから一週間が経っても、俺は何の不自由を感じることもなく生活を送れている。ただ、一週間一つ屋根の下で暮らしているのに、少女と俺の距離は全くというほど近づいていない。というのも、少女はトイレの交換と食事の時間以外で、必要以上に俺とコミュニケーションを取ろうとしないからだ。今思うと、少女が俺に生活スペースを用意してくれたのは、親切心からではなく、俺をそこに放置しておけるようにするためだったのかもしれない。ただ、生活スペースに壁と屋根をつけて、プライバシーを守ってくれているのはありがたかった。食事やトイレ交換の時のために、屋根は一時的に取り外しができるようになっていた。俺は毎夜少女が寝静まった頃、生活スペースに隠れて、自慰行為に耽っていた。おかずはもちろん、あの日図書館の机の下で見た、目の前で圧倒的な大きさの素足が縦横無尽に舞う、夢のような光景である。1日も欠かさず、飼い主である巨大な少女の素足で抜いた。毎日、その時間だけを楽しみに過ごしていた。俺はいつしか、自分がもともと受験生であったことなどすっかり忘れていた…。

 

6.

日が経つにつれて、俺は代わり映えのしない自慰行為に満足ができなくなっていった。そしてある日、俺は新たな行動に出た。少女が眠りに落ちたのを見計らって、俺は生活スペースを飛び出した。部屋の隅にある俺の生活スペースから、少女の眠るベッドまでは、今の俺にとって相当な距離であった。10分ほど歩いて、ようやく俺はベッドのそばにたどり着いた。床の上からでは少女の体を覗くことはできないし、高々とそびえ立つベッドの壁を、登れるほどの身体能力も持ち合わせていない。だけど、ここまでくれば、少女の存在を確かに感じることができた。少女の寝息で、空気が微かに揺れる。少女の寝返りを打つと、ベッドがギチギチと軋む音がする。床にいるのに、ほんのりと少女の香りが届いてくる。少女が近くにいることを、ドキドキするほど感じながら、俺は下半身を露わにして、床の上で自慰行為を始めた。3歳も年下の少女の部屋の床で、少女のすぐそばで自慰を行うという背徳感。少女が目覚めたらバレてしまうかもしれないというスリル。それらを感じながら行う自慰は格別だった。

今まででのどの自慰よりも、俺は長い時間をかけて行った。少女の寝息に、俺の荒ぶる呼吸が重なっていく。硬くなったペニスを床に擦り付ける。この床は、少女がいつもあの足で踏んでいる床だ。少女の足に踏まれるためだけに作られた床だ。そして少女の足の臭い、汗、ぬくもり、そのほか少女の足から排出される成分……それらが、世界で一番たくさん染み込んでいる場所だ。もし、あの少女が物心ついた頃からこの部屋を使っているのだとしたら、その量はおよそ10年分にものぼる。今に俺はこの床に、自らの精液をありったけぶちまける。少女の足の全てが染み込んだ床に、新しく俺の精子が染み込んでいく……俺は今から、この床を通して、少女の足と一つになるのだ。快感が最高潮に達したその瞬間に、俺はあの少女の美しい足と一つに―――

 

ジリリリリリリリリリリリリリリッッ!!!

「っ!?」

工事現場の騒音のようにやかましい音が突如鳴り響いた。耳が潰れかねないほどの爆音で、ペニスから手を離して耳を塞ぐより仕方なかった。耳だけでなく頭まで壊れそうになってくる。それは今まで味わったことのない感覚だったが、俺はこの音に聞き覚えがあった。

(目覚まし時計――)

まるで俺が答えを導き出すのを待っていたかのように、目覚まし時計の音がぴたりとやんだ。はっと我に帰る。この時初めて、最初目覚ましの音に驚いたはずみで、俺のペニスから精液が吹き出ていたことに気がついた。

(なんで、こんな時間に目覚ましが?いや、それより…!)

背後で、ベッドがギギギ…と鈍い悲鳴をあげ始めた。悲鳴がおさまったと思うと、それまで暗闇に包まれていた世界が、隅々まで一瞬でまばゆい光に照らされた。

「んー…」

少し寝ぼけ気味の声は、新鮮ではあるが確かにあの少女のものだった。うっかり眠れる猛獣を起こしてしまった冒険家は、ちょうど今の俺のように体が固まって動かなくなってしまうのだろうか。眩しさに瞑っていた目を開けると、前方には俺の脱ぎ捨てたパンツと、そのパンツを巻き込んでべっとりと広がる精液溜りが見えた。もう少し離れたところにはジーンズが投げ出されている。こんなところで突っ立っている場合ではないのだ。バレるかバレないかのスリルを楽しむなどとのたまっていた数分前の自分の呑気さ加減を恨んだ。少女に自慰行為がバレる前に、一刻も早く物的証拠を片付けておかなければならない。それができなければ、俺は、どうなる?精液のかかったパンツを回収しようと、手を伸ばしかけたその時だった。俺と、パンツの間に割って入るように、上からとてつもない勢いで、肌色の壁が落ちてきたのだ。どうしようもなく見覚えのある、丸みを帯びた肌色の壁が、俺の視界を上から下に流れて、そして静止した。

ずうんという音が重々しく響いた。風圧に髪は揺れ、壁の着地の衝撃で、俺の体は地面ごと縦に激しく揺れ、心臓は恐怖にいつまでも、弾け飛びそうなくらいに揺れた。

伸ばしかけた手が、いよいよ金縛りにあったように動かなくなった。固まった手の指先が触れるか触れないかというほどすぐそばに、その肌色の壁――寝起きの少女の鈍重な素足は踏み下ろされたのだ。

俺は固まりながら、少女の素足がゆっくりと地面から離れるのを一番近くで見ていた。吸い付いていたものが剥がれるように、素足の柔肌と床の間で、ぺりぺりという音が発生していた。かかとが持ち上がるとき、素足の下敷きになっていたらしい俺の精液が、床からかかとの裏にかけてつーっと糸を引くように伸びているのを見た。やがて素足は俺の手の到底届かない高さまで上昇し、糸はその過程でぷつんと切れた。

少女があの足で、俺のぶちまけた精液を踏みつけた。精液の溜まっていた地点を見返すと、たくさん溜まっていたはずの精液は既にほとんど薄い膜のようになっていて、同じくそこにあったはずの俺のパンツは跡形もなく消えている。全て少女のあの圧倒的な素足が、たった一瞬で飲み込んでしまったのだ。

萎えていたペニスがむくりと起き上がった。寝ぼけているからか、少女は俺の穢らわしい精液を踏んだということにすら気づいていない。彼女の一歩で、危うくぺったんこにされそうだった俺の存在にも気づいていない。怖さはある。けれどそれ以上に力強い何かが、俺の足を、少女の素足が去っていった方に向けさせた。1ヶ月間共同生活を送っていながら、ファーストコンタクトのあの日以来、一度も間近で見ることができなかった少女の素足。とりつかれたみたいにふらふらと足が動き出す。少女は今俺に背を向けた状態で、椅子にずっしりと腰をかけ、パラパラと何かのページをめくる音を立てている。こんな真夜中に目覚ましをかけていたのは、朝まで勉強する為だったのだろう。

椅子の足が形成するトンネルの向こうに、素足が堂々と居座っていた。俺にはもう少女の素足しか見えていなかった。鼻息を荒くして、顔を火照らせ、そろりそろりと近づいていく姿は誰がどう見ても変質者のそれであっただろう。椅子のトンネルの入り口に差し掛かったとき、俺を出迎えるかのように、右の素足がかかとから持ち上がっていった。人を何万人乗せてもびくともしなそうな跳ね橋が、ごうごうと開くような迫力を見ていて感じた。トンネルを進んでいくにつれて、少女の素足に近づいていく。近づいていくにつれて、俺は遠近感がゆっくりゆっくり壊されていくのを自覚した。こんなに大きく見えているのに、まだ俺と少女の素足には距離があるのか、という戦慄の連続。

ようやく俺がすぐそばまでたどり着いた時には、素足は既に動作を終えていた。俺の視界は、少女の足の裏で埋め尽くされていた。どこまで見上げても、見えるのは足の裏、足の裏、足の裏!洗ったばかりでどこかしっとりとして汚れひとつない、顔をうずめたくなる足の裏だった。そんな足の裏を、つま先からかかとまで全て、少女は俺の方に向けている。まるで、これが見たかったんでしょう?と、好きなだけ見ていいですよ、と、俺のことを嘲笑うかのように。

俺は少女が無意識にしかける甘い誘惑に、ほんの少しでも抗うことができなかった。まず、少女の素足を、これでもかというぐらいにじっくりと見た。微かな皺も、足指に刻まれた指紋も、余すところなく見て回った。見るだけでは飽き足らず、顔を近づけて、隅々まで少女の足の臭いを嗅いだ。汚れもなければ、汗で蒸れているわけでもない素足だったが、その分少女の素足そのものが持つかぐわしい臭いを、肺いっぱいに吸い込むことができた。

もう臭いを嗅ぐだけでは満足できない。本当はこの柔らかそうな足の裏に、めいっぱい顔をうずめてみたい。舐め回して、少女の足の裏の舌触りと、足の裏の味を確かめてみたい。けれどそんなことをすれば、どんなに寝ぼけていたって机の向こうの少女は気づく。俺は確かに少女に誘惑されてこんなことをしているが、それは本来許されざる行為だ。自分の世話をしてくれる飼い主であり、今は目標のために寝る間も惜しんで勉強している健気な少女の足下でこんな不埒な行いをするなど、あまりにも人の道を外れてすぎている。

俺はせめて反対側の足も拝んでおこうと、横に向かって歩き出した。たどり着いたとき、少女の左足はかかとを俺に向けていた。かかとから上を見上げると、張りツヤの良い健康的な脚が、椅子の天井の向こう側まで伸びていて、少女の真下にいるのだということを改めて自覚した。その時、右足のときと同じように、左足のかかとがゆっくりと持ち上がり出した。俺はワクワクしながらその光景を見つめていた。手前から、少女の左の足の裏が露わになっていく。

(え?)

その途中で、俺の予想もしていなかったモノが目に映った。綺麗なはずの少女の足の裏に、何かがくっついている。その何かが、俺にはすぐに分かった。なぜならそれは、つい先ほどまで身につけていた、俺のパンツだったのだから。

俺が呆気にとられている間に、少女の素足は動作を終えた。またしても俺は、少女の足の裏の全てを見せつけられていた。ただ、最前と違うのは、広がる足の裏の一点に、俺のパンツが貼り付いていること。

…そう、あれは確かに俺のパンツであるはずだ。けれど、どうしてもそれは、少女の足の裏にこびりついたゴミにしか見えなかった。

もし…もしも俺がこの少女の足の裏に、ぐしゃりと踏み潰されたとしたら、他人の目には、いやあるいは少女の目にも、俺の死骸はこうやってゴミにしか見えなくなるんだろうか。

「っ…!」

俺はいてもたってもいられなくなって、少女の足の裏の、本当にすぐに触れられそうなほど近くに寝転がって、手を硬くなり始めたペニスに伸ばして、そのまま動かし始めた。

俺はこの夜、少女の足下で何度も射精をした。少女の足の裏を見つめながら、少女の足の裏の臭いを嗅ぎながら、少女の素足のそばで身悶えている、矮小な自分の姿を想像しながら、繰り返し自慰を行った。

6度目の射精のあと、流石に心身ともに疲れ果てて、床にぐったりと寝転んでいた。こんなに短いスパンで自慰行為を繰り返したことはなかった。それほどこの少女の素足は、俺の性欲を駆り立てるのだ。静かな心持ちで、俺は今一度少女の素足をしげしげと見つめていた。その素足がかかとから、俺に向かって倒れてきた。

(え?)

あまりにも突然のことで、俺は何をすることもできなかった。動けない俺に、情け容赦なく大きな大きな足の裏が迫ってくる。

(潰される)

理解した瞬間、足の迫ってくる速度がすっと落ちた。自分の死を悟った瞬間、周りの世界がスローモーションのように流れ始めるという話は本当だったらしい。

これは、神様が下す天罰に違いないと思った。ひょっとしたら、この素足の持ち主の少女が現人神で、自分の足下の世界を侵そうとした身の程知らずの虫けらに、自ら罰を下そうとしているのかもしれない。彼女が神様だったとすれば、人間1匹ペットとして飼うくらいしてもおかしな話ではない。

少女の足の裏に飲み込まれる。飲み込まれて、足の裏のゴミに生まれ変わる。不思議と、気持ちは落ち着いていた。少女の素足を一番近くに感じながら自慰の快楽に溺れるという夢のような時間を終えてすぐ、少女の素足に踏み潰され、足の裏の感触を全身に感じながら死ぬことができるのだ。世界のどこを探したって、俺より幸せな最期を遂げることのできる人間はいないだろう。惜しいことといえば、あれだけチャンスがあったのに、結局一度も少女の足を舐めることができなかったことくらいだろうか。足の裏の表面が目と鼻の先まで来て、俺はすっと目を閉じて、最期の訪れるその瞬間を待った。

ところが、目を閉じてからどれだけたっても、足の裏が俺の体に接触する感触すらない。

おかしいと思って目を開けると、視界が全て、翳りのある肌色で染められていた。

見紛うはずもない、これは全て、少女の足の裏の色だった。

俺は身動きを取ることができなかった。それは決して戦慄や興奮からではない。床と、少女の足の裏が作り出すほんの僅かな隙間に囚われて、抜き差しならない状況に陥っているのだ。少女がかかとをほんの少し浮かせたその下に、俺が横たわっているような状況。

少しでも体を動かせば、少女の足の裏に体が触れてしまう。触れていないだけで、俺の体と少女の素足はほとんどゼロ距離だった。俺の視界どころか、まるで世界の全てが少女の足の裏に支配されてしまったような錯覚に陥る。少女の足の裏に支配された世界に、俺は言葉も出ないほどの憧憬を覚えていた。光景だけではない。この少女の足の裏の世界を満たすのは、少女の足の裏から生み出される空気だった。全身を包み込むような足裏の臭いに、

俺の頭はくらくらし始めていた。いよいよ俺は、少女の素足のことしか考えられなくなった。

一度だけだと心に誓って、俺は顔の上を覆う足の裏を、自らの舌でひと舐めした。

「――!!」

俺の舌に、脳内に、全身に、電撃が走るような感覚だった。少女の足の裏の味は、俺の中の理性のブレーキをいとも簡単に壊してしまった。

俺の舌が触れた瞬間、少女の足の裏がビクッと震えて、俺の舌から逃れるように離れていった。離れたまま特にアクションを起こすこともなかったので、足の裏に少しくすぐったさを感じたくらいで、少女が俺の存在に気づいたということはないらしい。だが俺は恐ろしくなって、椅子のトンネルを抜け出し、途中で放置されていたジーンズを回収し、足早に生活スペースに駆け込んだ。

恐ろしかったのは、少女に見つかってしまうことでもなく、少女の素足に再び潰されそうになることでもなかった。数秒前にしたばかりの一度だけという誓いも忘れて、俺がもう一度、少女の足の裏に舌を伸ばそうとしたことが、何よりも恐ろしかった。あのとき、少女がくすぐったさを感じてかかとを持ち上げなかったら、俺は2度、3度、それ以上と、少女の足の裏を舐め回しただろう。少女の足の裏の臭いを嗅ぐのも、足下で何度も自慰を行ったのも、全ては俺の意思に従ったもので、やめようと思えばやめられた。だが、再び舌を伸ばしかけたあの時は違った。明らかに、自制が効かなくなっていた。薬物に溺れるように、俺はあの少女の足の裏の味の虜になってしまっていたのだ。

(そういえば、俺のパンツはまだあの子の足にくっついたままだ)

トイレ用のティッシュで腿のあたりにべっとりとついた精液を拭いた後、持ち帰ったジーンズを履きながら思い出した。

(あのパンツから、俺の行為に足がつかなければ良いが…)

少女の目にもゴミとしか映らないだろうとは思うが、万が一ということもある。かといって今更取りに戻るのは危険すぎるので、俺は諦めて人形用のキングサイズのベッドに潜り込んだ。

 

6.

次の朝、屋根の外れた天井から少女のすらりとした指が降りてきて、いつものようにおもちゃの食器の上に食べ物を乗せて帰っていった。今日はソーセージの切れ端。ところがどういうわけか、いつもの2倍以上の大きさに切られていた。

「今日から始業で、お昼時には帰ってこれないので…。多分これからは平日はずっとこんな感じになると思います」

訝しがってソーセージを見つめている俺に、少女はそう言った。見上げてみれば、なるほど確かに少女は制服を身に纏っている。おろし立てであろう制服の白が眩しいほどだった。図書館での私服姿や、部屋着のラフな格好しか知らない俺の目には新鮮に映った。

「じゃあ、私はもう出ますから、大人しく留守番しててくださいね」

それだけ言い残すと、少女は部屋の外へと去って行った。

 

少女の留守で閑散としている部屋の中で、俺は何をするでもなく惰眠を貪っていた。

自慰を行うこともできるのだが、昨日の今日なので流石に息子にも休息を与えておきたい。

となるとやはり、こうしてぼーっとして時を過ごすしかないのだった。なんとなく腹が減ってきたなと思ったらソーセージを何口かかじって、

しかし冷静になって考えてみると、寝ることと食べることと自慰行為しかすることがないというのは、受験生どころか、人間らしい生活からもかけ離れてしまっているような気がしてならない。

俺がここまで堕ちてしまったのも、すべてあの少女のせいだった。堕落の始まりは小さくなったところからではない。思えばあの図書館で素足に魅せられた瞬間から、少女は無意識のうちに、時間をかけてゆっくりと、俺を人間の生活から切り離していっていたのだ。それも、されていることに俺が気づくことすら出来ないくらいの、巧妙な緩慢さで。結果、気付いた時にはすでに、俺はもう二度と元の生活に戻れないというところまで来てしまっていたのである。

人間である少女の目には、今の俺が、人間というあり方に小さな体で必死にしがみつこうとしている、惨めで、滑稽で、無様な生き物に見えているに違いない。野良だのペットだのという形容の仕方に異議を唱えた俺に、普段感情を露わにすることのない少女が、声を乱して笑いをこらえるようにしていたのが何よりの証拠だった。

だが、俺がまだ人間であろうとしているうちはまだ良いのかもしれない。俺が本当に恐れているのは、人間への未練を失い、汚物やペット扱いされることに何も感じなくなってしまうことだった。身も心も完全に虫けらになってしまうその瞬間に…そしてその瞬間に向かって、着実に歩を進めて行っている自分に、俺は何よりも恐れを抱いていた。しかし、恐れながらも、その瞬間に…少女の足下をこそこそ徘徊する醜いゴミ虫に生まれ変わることに、憧憬を抱いていることへの自覚が、一層激しい悪寒となって俺の背中をぞくぞくと走った。

 

(ん…?)

二度目の食事を取っている最中だった俺は、遠くに聞こえ出した地鳴りのような音に聴覚を集中させた。すると、遠くに聞こえていたと思っていたその音は、だんだんとこの部屋に迫ってきているということが分かった。近づいてくるものの正体が分からずに狼狽えた。とにかくそれは、何か天変地異のような轟音を立てて、重々しく迫ってくるのだ。

轟音はついに部屋の扉を突き破り、情け容赦なく俺の両耳に襲いかかってきた。ごうごうと荒々しい音に、乱れることのない一筋の金属音が内在していた。ジェットエンジンの唸りを間近で聞かされているような感覚だった。壊れそうになる耳を抑えながら、生活スペースの入り口から、外の様子を窺った。

俺は瞬時に、この轟音の正体を理解した。理解とほとんど同時に戦慄がやってきた。

最初に目に入ったのは、巨大なコウガイビルのような形状の頭、その口から床の上に存在するあらゆるモノを、ほんの微かなチリですら逃さずに吸い尽くし、丸々と太ったくせして嫌に硬質で冷たい印象を与える胴体に取り込みながら、地を這うようにして俺のいる方に迫ってくる機械仕掛けの怪物。そしてすぐあとに、そんな恐ろしい怪物を片手1つで使役し、大地を揺らしながら威風堂々と近づいてくる、化け物という形容ですら甘いほど圧倒的な大きさの中年女性の存在を認識した。

すなわち、少女の母親が娘の留守を見計らって、掃除機をかけに部屋に乗り込んできたのであった。

こうして覗いている間にも、掃除機は着実にこの生活スペースとの距離を詰めてきている。

俺はいつまでたっても、SF映画に出てくるアニマルロボットみたいに悪趣味で狂気じみた造形をしているあの巨大な怪物と、俺がまだ普通の大きさだった頃、日常的に目にしていた掃除機とを結びつけることができないでいた。

ゴミというゴミを全て飲み込み尽くす怪物を前にして、ゴミともはや遜色のない俺の抵抗が果たしてどれほどの意味をなすのか、全く想像がつかなかった。

掃除機を使っていた頃の俺は、その掃除機の力というものを、ごく自然に把握しきったつもりでいた。「強」のボタンを押せば実際に力が強くなったと思ったし、長年使ってきた掃除機を最新式のものに買い替えた時、(あ、前のよりずっとよく吸うようになってるな)と感じもした。

だが俺は本当の意味で掃除機の持つ力を理解していなかった。つまり、吸われていくゴミたちにとっては、「弱」の力は決して弱くなどないのだということを、考えたことがなかったのだ。もっとも、まさか自分が吸われる立場になるなんて思いもしなかったのだから、当然といえば当然である。

掃除機はもう、生活スペースの目と鼻の先まで迫ってきていた。ゴミが次々と怪物の口の中に消えていく光景で入り口が埋め尽くされていく。近くに来て、俺は初めてあの怪物の舌を見た。無数に回転して、吸い寄せた獲物を絶対に逃がすことなく絡め取っていくあの恐ろしい舌を。

俺は直ちに生活スペースのいちばん奥に身を縮こませた。あんなものを見て、自分は飲み込まれないと思える奴がどこにいるだろうか。ゴミたちが無抵抗に吸い込まれていくのは、皆あの恐ろしい大口に絶望して、抵抗する気力を失ってしまうからに違いなかった。

奥にいたとて、まだあの掃除機に吸い込まれてしまうのではないかという不安が俺の心を支配していた。いや吸い込まれなかったとしても、あの母親にこの生活スペースの中を暴かれ、見つかってしまうのではないか?この生活スペースは、円形の平箱に入り口用の穴をくり抜いて作られたものだった。そんなものが床の隅っこに意味ありげに置かれていたら、不審に思って中身を調べようとしてきても何もおかしなところはない。

もしまだ中学生の娘の部屋に、小さいとはいえいい年をした見知らぬ男が入り込んでいるのを知ったら、母親は普通どういう反応をするだろうか?

そんなことを考えていると、壁を隔てたすぐ隣で、ちょうど小さな穴倉に逃げ込んだ獲物を執拗に恫喝する肉食獣みたいに哮り立っていたあの怪物が、不意にしゅんと大人しくなった。

その沈静はしかし俺の精神に安らぎを与えなかった。隅で縮こまっている俺は外の様子を窺うことはできないが、姿を見るのとほとんど変わらない量の情報と緊張や恐怖や絶望を、今まで暴れ狂う掃除機によってひた隠しにされていた巨大な女性の気配たった一つから享受することができた。その気配は、生活スペースを取り囲む壁や天井をいとも容易く突き抜けて、中の俺を四方八方から追い詰めていき、一気に飲み込んでくるような「気配」だった。

生活スペースを前にして少女の母親が掃除機を止めた。これが今、俺が得ることのできた情報である。彼女のこの行動が意味するところ、そして彼女がこの次にとる可能性の高い行動のことを、考えないわけにはいかなかった。

「何かしらこれ…」

天井の向こうで、若さの抜けているが、若者のような素直な驚きのこもった声が静かに響いた。俺はすっかり身を硬直させていた。宇宙から何の予告もなく飛来してきた、街一つ分の空を覆い尽くす円盤さながらに、少女の母親の手のひらがずんずんと迫り来る光景が、天井を透かして俺の目に映るようだった。その手のひらが天井を突き破ってこようかという瞬間に、何をすることも出来ず俺はただ目を瞑った。

しかし、その瞬間が過ぎても、天井は何も変容を見せなかった。そればかりか、俺は確かに、常にこの場を支配していた少女の母親の気配が薄れているのを感じた。

どうやら初めから彼女が気に留めたのは、この生活スペースとは別のところに置かれている、何か別の物らしかった。その何かが目に付いたのが、たまたまこの生活スペースの正面に立ったタイミングだったということだろう。何にせよ注意が逸れたことで、俺は束の間の安息を得ることができた。

 

「まあ、こんなところに靴下脱ぎっぱなしにして…!」

 

少女の母親のこんな言葉が耳に飛び込んできたとき、俺の心から落ち着きが一瞬にして失われたことということは、おそらく想像に難くないだろう。この言葉を受け入れる体制をこの時の俺は作っていなかった。故にこの言葉は、昏倒しそうになるほどの衝撃を俺に与えた。

靴下。

脱ぎっぱなしの靴下。

一日中履かれ、少女の足から流れる1日分の汗ばかりか、足の肉そのものが発する臭いまでもをふんだんに染み込ませた、脱ぎたてほかほかの少女の靴下。

たった一言の言葉の持つ毒によって、俺はすっかり酔わされていた。

「いつのかしらこれ…」

一刻でも早く確かめたかった俺は、入り口から身を乗り出して母親の手のあるべき方を仰ぎ見た。

手に吊るされていたのは確かに、埃っぽく乾燥しきっている、あの少女のものと思われる紺色の靴下だった。だがそれを認識した次の瞬間には、たちまちその靴下が潤いを取り戻し、いかにもそれらしく湯気を発し始めたのだ!この時の俺は、広い砂漠の向こうにオアシスの蜃気楼を見た遭難者にほとんど同じだった。あと少し少女の母親が部屋から出るのが遅かったら、俺はとうとうこの生活スペースを飛び出して、見つかる危険も忘れて、文字通り手の届かないところにいる靴下を目指したかもしれなかった。