悪い子
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あれは、小学五年生の頃だったろうか。
当時、僕には好きな女の子がいた。同じクラスで、不思議ちゃんというほどではないけれど、ふわふわとしていて角のない子だった。自分でいうのもなんだけど仲は結構良くて、あの子とお喋りするたびに、ドキドキするというよりは癒され、胸の中に幸せが満ちたのを覚えている。
でも、そんなある日、僕は見てしまったのだ。あれは確か、体育の授業の時間だった。体調を崩しがちだったあの子は体育の時間はよく見学組にいて、その日、僕はあの子と一緒になりたかったがために、仮病を使って見学組に混ざったのだった。結局、あの子には仮病は見抜かれていたけれど、純粋なあの子だから、自分が退屈をしないようにわざと休んでくれたのだと勘違いしたらしく、素直に喜んでいた。
日陰で二人並んで座ってお喋りしていると、僕はあることに気づいて、それをあの子に教えてあげた。そのときは、ほんの些細なことだと思って。
「ねえ、蟻が足を上ってきてるよ」
どんな反応を見せてくれるか期待していたところもなくはない。でも、それは今のように汚れた感情では決してなかった。
「え、やだあ」
すでに体育座りのあの子の膝のてっぺんまで頑張って登り詰めていた蟻は、あの子の手の動きによって一瞬で払われてしまった。
その瞬間、僕に未体験の感情が芽生えた。けれどそれをはっきりと自覚するのは、それに続く場面だったはずだ。
「もう…悪い子はこうしちゃう」
落ちていった「悪い子」の蟻を、あの子は逃さなかった。いきなり飛ばされて、状況が分からずあたふた動き回る蟻は、あっという間も無くあの子の薄汚れた可愛らしい運動靴の下でぺしゃんこにされてしまった。
「ふう。…でね、私がたぬきを見たっていう場所なんだけど…」
まるで何事もなかったかのように、あの子はお喋りの続きを始める。でも僕には、何事もなかったように、なんて無理だった。戸惑いを隠せなくて、「どうしたの、汗すごいよ?」なんてあの子には心配されてしまったけれど、どうやって誤魔化したのかはもう覚えていない。でも、間違ってもあの子に「…ちゃんに踏み潰された蟻を見ていたら、なんかドキドキしてきちゃって」なんて伝えては駄目だということくらい分かっていたのは確かだ。
その日まで僕はずっと、あの子の優しいところや、守ってあげたくなるようなところが好きなのだと思っていた。そして本当にそうなのだとしたら、あの子が蟻を踏むのを見て、多少なりとも幻滅しなければならなかったはずだ。
僕はおかしいのかもしれない。僕と同じように、好きな子がいるという回り子たちは、きっとみんなその子のスカートの中を見てみたいとか、ちゅうしてみたいとか思っている。でも、僕は……あの子に踏まれてしまった、蟻のことを考える。動き回る蟻を一瞬でぺしゃんこにした、あの子の靴のことを考える。そして、たった数分前に潰した蟻のことなんてもう忘れて、楽しそうに僕に話しかけてくる、あの子のことを考える。
僕は、あの蟻になりたかった。その気持ちの芽生えこそ、僕の「目覚め」だったのだ。