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5.5話 愛情表現と……

窓の向こうから「遠き山に日は落ちて」のメロディが聞こえてきた頃、二人は静かな面持ちで、テレビの画面に目を向けていました。
流石に遊び疲れて、いつもみたいに二人でのんびりとお喋りをしていたところ、あかねちゃんはアオイちゃんがテレビを見たことがないということを知って、家にあるDVDの中から何か観せてあげようと思ったのです。
そうして選んだのが、クイールという盲導犬のお話。これは、あかねちゃんが好きな映画の一つです。他にもたくさん見せたい映画やアニメはあるのですが、展開の激しいものは見ていて疲れてしまうと思ったので、今回はこの映画をチョイスしたというわけです。

「なんか、ちょっとだけ犬が可愛いって気持ちが分かってきた…かも」

「でしょ?」

お話も中盤に差し掛かったというときに、手のひらの上でアオイちゃんはぽつりとそうつぶやきました。

「テレビってすごいね。あかねちゃんが…人間さんが見てる世界って、こんな感じなのかな」

すると今度は、あかねちゃんが感心する番でした。確かにアオイちゃんにとっては、テレビは映像を映し出す機械であるのと同時に、人間の目が捉える世界の共有を実現する、魔法の道具のようなものかもしれません。

この話を読んでいる人も、おそらく一度は映画館というものに行ったことがあるでしょう。

例えば、高さが8メートルほどのスクリーンがあったとします。ならばその画面に映し出された俳優もまた、8メートル相当の高さということになるでしょう。

でも、私たちはそれほどに大きいスクリーンを通してアクション映画を見ている最中に、「身長8メートルの巨人が戦っている」などとはただの一瞬だって思わないはずです。

アオイちゃんから見れば、 30インチほどのモニターでさえ、映画館のスクリーンにも劣らないような大きさでしょう。そしてこの時のアオイちゃんにもまた、前に述べたのと同じような現象が起こっているのです。画面の向こうで活動しているのは確かに人間であるはずなのに、どうしてかその人間たちを、人間をとりまくあらゆるものを、「巨大なもの」として捉えることができないのです。そばにいるあかねちゃんは、こんなにも大きな存在であるというのに…。それは映像というメディアが、人間以外の観測者の排除によってでなく、あらゆる観測者を一時的に人間化させることによって、「人間の、人間による、人間のための映像」という形をなしているからに他なりません。

ようするに、この映画を見ている間だけは、アオイちゃんは人間の視点を持つことができるのです。あかねちゃんはこのことに、もっと漠然としてはいますが、感動を覚えました。

「私が、アオイちゃんが見てる世界を知る日は来るのかな?」

あかねちゃんはそうなることに、いつ頃からかちょっとした憧れを持つようになっていました。例えば今見ている映画に出てくるようなワンちゃんの上に乗って旅をしたらどんなに楽しいだろうだとか、食べても食べてもなくならない巨大なメロンのことだとか……そして、実際のところ自分が、アオイちゃんにはどんな風に見えているんだろう、だとか考えるのは、あかねちゃんにとっては楽しいことでした。

「…そんないいものじゃないと思うよ」

けれどアオイちゃんの返事は、存外に素っ気ないものでした。あかねちゃんはこれを、単に自分にも見られるような、新しい世界への期待の裏返しとしての既存の世界への倦怠だと解釈して、テレビの方に向き直りました。

そして、物語がもう少し進んだ頃。

「ねえ、あの子はなんであんなことしてるの?」

アオイちゃんがそう聞くのは、盲導犬がベンチに腰掛けた飼い主の手を繰り返し舐めていることを指してでした。
そんなのは聞くまでもないことだとあかねちゃんは思っていましたが、確かに犬や猫でさえ天敵であるアオイちゃんにとっては、馴染みのない仕草かもしれません。

「あれはね、飼い主の人のことが大好きっていうサインなんだよ。…って、勝手に人間がそう汲み取ってるだけかもしれないけどね」
「へぇー…」

説明をそこそこに、あかねちゃんはまたテレビの方に目を向けました。実はアオイちゃんの「へぇー」は、映画を見始めてからもう何回目になるのか分かりません。あまり会話を挟みすぎると内容に集中出来なくなってしまうのではないかと心配している反面、アオイちゃんが人間の世界の色んなことに興味を持ってくれているのは嬉しくもありました。

「んっ…」

そんなとき、あかねちゃんは「C」の形に折り曲げていた人差し指の先に、くすぐったさのようなものを感じました。

何かと思って見てみれば、アオイちゃんがか細い両手であかねちゃんの人差し指を支えて、その先っぽに顔を寄せて、小さな舌でちろちろと舐めていたのです。

「く、くすぐったいよアオイちゃん。どうしたの?」

あかねちゃんが聞くと、アオイちゃんははにかんだような笑顔でこう言ったのでした。

「えへへ、私もあかねちゃんのことが大好きだから…」