「くしゅんっ!」
「散々な目にあったわね……」
あかねちゃんが庭から出て行ったことを確認すると、服も髪もびしょ濡れになった二人は、とぼとぼと引き上げて行きました。
「もう、ゆるせない!さっきの絵も濡れてさっぱりダメになっちゃったし」
「ええっ、それは悲しいね……」
「一から描き直す気も起きないし、お蔵入りにするしかないわね……付き合ってくれたアオイさんには申し訳ないけれど」
「仕方ないよ。でもすごかったね。私、あんなに近くで人間さんを見たの初めてだったよ…!」
「すごいって……あなたね、もう少しで見つかるところだったのよ……?」
そういうミドリちゃんには、心なしか、普段人間をこき下ろすときのような威勢がありません。絵がダメになってしまったショックからなのでしょうか?もしかしたら、あんまり呑気なアオイちゃんにほとほとあきれ返ってしまったのかもしれません。でも、そればかりではないように思えました。
あのときの、しゃがんだあかねちゃんを見上げるミドリちゃんの視線……あれほど何かに心を奪われているミドリちゃんを、アオイちゃんは見たことがありません。ちょっと残念でもありますが、先日、自分の絵を描いていた時も、そして今日あかねちゃんが帰る前までも、ずっと、どこか冷めた、大人なミドリちゃんを見ていたのです。
けれど、あのときは確かに―――未知の美の発見に心を躍らせる、無邪気な子供のミドリちゃんが顔を覗かせていました。
「…ねえミドリちゃん、あの子を描いてみたら?」
「何を言い出すかと思ったら……そんなことできるわけないでしょ」
でもミドリちゃんは、興味がないとは言いませんでした。
「さっきみたいに、見つからないようにどこかからこっそり描いていれば問題ないよ」
「だとしても、モデルに好き勝手動かれるようだと上手く描けないわ」
「それは、私が頼んで………あっ、じゃなくて!私実は知ってるの!あの子、いつも決まった時間に読書にふけっているから、その間ならゆっくり観察できるんじゃないかなっ!?」
言ってから、人間一個人に詳し過ぎると不審がられはしないか不安になりましたが、どうやらそんなことも気にとまらないくらい、ミドリちゃんはこの提案に心をぐらつかせているようでした。
「……本当でしょうね?」
「……って、ことなんだけど……」
日付けは変わって、アオイちゃんはまたあかねちゃんの部屋に来ていました。目的はもちろん、あかねちゃんとの口裏合わせです。
「つまり、私は明日の昼くらいから、確実にここで本を読んでいるようにすれば良いんだね?」
「うん。勝手なお願いで悪いんだけど…」
「いいっていいって、別に苦になるようなことじゃないし」
「ありがとう、ほんとに助かるよ」
このお礼は、いつかちゃんとした形で返すつもりです。そう、あかねちゃんのところに、ミドリちゃんを合意の上で一緒に連れてくることで……今回の企ては、きっとそのための大きな一歩になるに違いない、とアオイちゃんは思っています。
「でも、私のことまで描いてくれるんだあ……えへへ、なんか照れちゃうなぁ」
それにそうです。最初は意識していなかったけれど…アオイちゃんの念願の一つであった、ミドリちゃんの描くあかねちゃんが、ついに見られるかもしれないのです。


