優奈は、小さな男に対して、時折微笑むくらいはあっても、あまり笑顔を見せない。戸惑いからか、奥ゆかしさなのか、それとも興味が薄いのか、分からないがとにかく彼女の唇は、いつも綺麗な弓の形を描いている。
園児には、戸惑いや憂慮といった感情の機微はない。痛いから泣く。楽しいことを見つけたから笑う。単純な構造。単純で、剥き出しだ。
捕食者の剥き出しの笑顔が、被食者の目にどのように映るか考えてもらいたい。
心菜は、虫かごをひっくり返して、手のひらで男を受け止めた。痛みはない。丸っこくてぷにっとした、幼児の手のひら。
だが、まるでおもちゃ箱からおもちゃを出すような、ぞんざいな扱いに震え上がる。
そして視線を上げれば、おもちゃを前にして、ほとばしる喜の感情を映し出す心菜の顔がそこにあった。
押し潰すかのように近い距離感。
逆光によってもたらされた黒い影。
口元ににじんだよだれ。
全身の毛が逆立つのを感じた。
さて、珍しい虫を捕まえたとき、幼い子どもが次にする行動とは何であろうか?
じっくり観察する?かわいそうだから逃がしてあげる?脚をもぎって遊ぶ?
声を上げる間も無く、男は心菜の拳の中に飲み込まれた。
そこは完全なる真っ暗闇ではなく、拳の隙間から漏れるわずかな光によって、暗闇に密集する指の赤みだけが浮かび上がる。外界の雑音は遮断され、血液のせせらぎだけが聞こえる。
肉の檻に閉じ込められているようで、気味が悪い。肌の熱が中を蒸し、劣悪な環境を形勢する。
だが本来は、かわいらしい幼児の手なのだ。
さて、先ほどの問いの答えであるが————大抵の子どもは、捕まえた虫を早く誰かに見せたい、自慢したいと思うものである。
「ママーっ!」
漁船よりも激しい揺れ。心菜が走り出した。
狭くて身動きが取れないということはない。拳の隙間ですら余りあるほどに、男は小さいのだから。
だが、かえってそれが災いし、振動に揺られ体制を保てず、手のひらに干渉することができない。もっとも、力の限り殴ったところで、指の皮膚1枚に残らず吸収されてしまうだけなのであるが。
母の幸恵は、仕事に出るべく、玄関でパンプスの踵を整えていた。おりしもそこに娘が、とてとてと興奮した様子でかけてきたのである。
「ママー、こびとさんつかまえたー!」
「小人?」
幸恵は、さりげなく腕時計を確認する。むろん、サンタクロースの存在を疑わない子供の言葉として受け取ったが、そういう夢をむやみに壊すべきではないとも心得ていた。
「本当にいたのー?」
「うん!」
そう言って心菜は、待ちきれないとばかりに握っていた手を開いた。
その手には何も乗っていなかった。
「……あれー?いない……」
「あら……」
そんなことだろうとは思っていたが、態度には出さない。
「うそじゃないよ……!ほんとにさっきまでいたんだもん……!」
心菜の表情の雲行きが怪しくなる。子育てをしていると、天気予報のスキルが身についてくる。
「えー、見たかったなー。……でもごめんね、ママもうお仕事行かなくちゃいけないから、明日の朝帰ったら教えてね?」
「…………やぁーだぁーーー!!!いだのーーー!!!」
とうとう心菜は、えんえんと泣き出してしまった。幸恵は腰をかがめて、いつものように彼女の頭を撫でる。
「はいはいもー泣かない泣かない。ね、本当に小人さんいたんだよね」
「……」
べそをかきながら、心菜が頷く。
「じゃあおるすばんしてる間、もっかい探してみよ?ねぇねと一緒に探したらきっと見つかるよ」
「……んっ、ここなもっかい探してみる」
「そうそう!ほら、飴ちゃんあげるから、もう泣かないの」
ビニールに包まれた飴玉を、力が抜けた心菜の手で包むようにして渡す。遅れて、その手の中で、くしゃしゃという音がした。飴玉を握った手で、心菜は涙を拭った。
「ありがと……ママ、おしごとがんばってね」
「はいはい、いってきまーす。おるすばんよろしくねえー」
扉が閉まる音がして、玄関は水を打ったように静けさを取り戻した。


