おやすみなさい。
他人とその挨拶を交わしたのは、いつ以来のことだっただろうか。
男は、優奈が敷いたハンドタオルに横たわっていた。少しごわごわしていたが、冷たい床の上に直で寝るよりはよかった。
試みに、男はそのハンドタオルに、優奈のにおいを求めていた。だが、それらしきものは何も得られない。それもそのはずで、優奈は男の布団に、自分があまり使っていないものを選んでいたからである。もちろん、警戒からではなく、曇りのない配慮から。
無臭のものを嗅ぐより、空虚な行為があるだろうか。ため息をついて、男はそこから顔を離す。
前方を見ると、優奈の枕があった。その上にはかろうじて、彼女のつむじが見える。
あの子どもの証のようなつむじをなぞってみたいと、何度思ったことだろう。
今ならできる。なぞるどころか、あのつむじを穢すことだって。
そう思って歩み寄ろうとするけれど、透き通るアクリルの壁に阻まれてしまう。
「自分の身を守るため」などとうそぶいてこの空間に閉じこもることを選んだのは自分なのだ。後悔もしていない。ほんの一瞬の出来事に思えたが、優奈の指先に捕らわれ、この虫かごの中に落とされた時のことは忘れられない。ぞくぞくした。本当に、自分が全力で押し返しても、たかが子どもの指先を、たった0.1ミリ動かすことすらできなかった。アクリル越しに射精を観察されたあの時、本当に自分が虫になってしまったかのように錯覚した。(それが錯覚ではないことを男は自覚していない)
だが、その選択が「優奈の身を守るため」にもなってしまうことは、考えていなかった。
上を見上げる。絶望が網目を描いていた。自力で脱出が可能であるなら、子どもたちは虫かごを使わない。
仕方あるまい。男は優奈のハンカチに包まって、しぶしぶと眠りについた。
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爆発音のような音と共に、男の夢の世界がひっくり返った。


