そんなこともありましたが、二人の新しい生活の日々は、驚くほどなんの支障もなく進んでいきました。はじめはしぶしぶといった感じだったアオイちゃんも、どうせ長続きしないだろうと考えていたあかねちゃんも、ついに何も言いださないまま、一週間が経っていたのです。ひょっとすると、このままずっと今の生活が続いていくのかもしれない……そんな雰囲気さえ漂い始めていたのを、言葉にはせずとも、二人ともすでに感じ取っていました。
ですがまもなく、そういった空気は一変することとなります。
アオイちゃんが居候を始めてから、ちょうど10日が経った日だったでしょうか。
「それじゃあ、いい子にお留守番してるんだよ…?」
その言葉をのこして、あかねちゃんは出かけていきました。今日はお母さんと一緒に、離れたところにある親戚のお家に遊びに行くのだといいます。アオイちゃんは、自分も一緒に連れて行ってほしいとお願いしたのですが、万が一のことを考えて、あかねちゃんはそれを頑として聞き入れませんでした。
家の外に出て、見知らぬ人間がそこら中を闊歩している世界に連れられて行くことがどれほどに危険なことであるか、けっしてアオイちゃんにも想像できないことではありません。もし自分に何かあったら、悲しむのはあかねちゃんなのだということだって、ちゃんと理解しています。だから、あかねちゃんのいうことに、一度は納得したつもりでした。でも……
(やっぱり、ひとりでいるのは寂しいよ……)
一時間もたたないうちに、そんな気持ちが無視できないほどに大きくなっていました。
あかねちゃんがそばにいない時間を過ごすのは、けっして初めてのことではありません。それどころか、あかねちゃんに出会うまでは……いえ、夏休みが始まって、こうやって虫かごの中で暮らし始めるまではまだ、一人で過ごす時間の方がずっと多かったはずなのです。それが、あかねちゃんがいなくなってからたった一時間で寂しさがこみあげてくるようになってしまったのは、それだけ、彼女と一緒にいることが、彼女のそばに置いてもらえることが、当たり前のことになってきているからなのでしょう。
なんにせよ、いくら寂しいよ、帰ってきてよと念じたところで、現実がその通りになるというわけでもないので、この寂しくて空虚な時間の埋め合わせになるくらい、あかねちゃんが帰ってきた夜にたくさん遊べばいいのだと割り切って過ごすことに決めました。
ところが、それから二時間ほど経った頃。
(どうしよう……)
アオイちゃんは、ある重大な問題に直面していました。
それは一体、どんなものかというと。
(……おしっこに、行きたい)
焦燥感に駆られて虫かごの中を見回してみますが、当然、捕らえられた生き物のための逃げ道なんて、どこにも用意されていません。
いつもなら、おしっこをしたくなった時は、あかねちゃんを呼んでお庭の隅っこまで連れて行ってもらい、そこで用を足します。けれど今はあかねちゃんに外に出してもらうことができませんし、かといって、この虫かごの中にアオイちゃんがトイレとして使える場所が用意されているかというと、そういうわけでもありませんでした。しかも、運の悪いことに、アオイちゃんのお昼ご飯を置くスペースを空けるために、いつもは中にあるおちょこのお風呂も今日は外に出されています。もしそうでなければ、最悪の場合それをトイレ代わりにするという選択肢もあったのでしょうが…。
追い詰められたように、アオイちゃんは足元に目をやります。そこにはただ、薄青色の絨毯が敷かれているだけでした。
もし、アオイちゃんが耐え切ることが出来ずに、ここでお漏らしをしてしまうようなことがあったとしても、折り重なって層の厚くなっている絨毯がしっかりと吸収してくれることでしょうし、おしっこを吸った絨毯を洗濯して貰えば済む話です。赤恥をかくことにはなるでしょうが、逆に言えば、ほんの少しの間恥ずかしい思いをすればいいだけなのです。
でも…。アオイちゃんの目は、我知らず別の方に移っていました。絨毯の端からひょっこりと顔を出している、小さな白いタグ。そこには、あかねちゃんの字で「6-2 首藤」と書かれていました。
リフォームされた虫かごの中に最初に降り立った時から、床全体に敷かれたこの絨毯が、あかねちゃんのポケットタオルで、それも彼女が普段から使っていたようなものであることに、アオイちゃんは気付いていました。本人の口から直接聞いたというわけではなく、また、さっきのようにすぐにタグの存在に気付いたから、ということでもありません。
洗剤の香りの中に、もうすっかり嗅ぎ慣れて、それでいて大好きなあかねちゃんの手のひらのにおいが、ほんのわずかに残っているような気がして……だから、それが彼女が手を拭くのに使っていたタオルなのだと分かったのです。
そんな、あかねちゃんの大事な持ち物を、自分のおしっこで汚してしまう……想像することさえ、アオイちゃんには耐えがたいことでした。
(我慢、しなきゃ…)
遠くに見える窓の、そのさらに向こうでは、白い雲がのんきに正午の空を漂っています。その空を見ていると、なんだか夜が来るまでの時間が、永遠のように長く思えてくるようでした。


