さて、そのアオイちゃんですが、実をいうとまだ、自分の住処を発つことができていないという状況にありました。それは、どうしてかというと。
「いやぁ、本当に助かったわ。(もぐもぐむしゃむしゃ)…私、ミドリっていうの。あなたは?」
「私はアオイ。そ、それにしても、よく食べるんだね」
「あら、私ったら恥ずかしいわ……なにしろ、ここ1週間何の食べ物も口にしていなかったから…」
「い、いっしゅうかん!?それはつらかったね…」
「もう本当に、あなたが見つけてくれなかったら行き倒れるところだったわ。命の恩人よ(ぱくぱくむしゃむしゃ)」
……つまり、こういうことです。アオイちゃんがあかねちゃんの部屋に向かっていた途中で、視界のすみで誰かが倒れているのを認めました。近寄ってみると、なんとそれはくたびれた旅装束を身にまとい、どんぐりの笠を頭に被った、アオイちゃんと同じ、小人の女の子だったのです。慌てて呼びかけてみると、まだ少しだけ意識が残っているのが分かったので、アオイちゃんはその子に肩を貸して、自分の住処まで連れて行き、ためていた食糧(そのほとんどは生活の苦しい彼女のためにあかねちゃんが持たせてくれたものです)を食べさせることにしました。
そして、今に至ります。
ミドリちゃんの食の勢いがようやくおさまってきた頃、アオイちゃんは彼女に、どうしてあんなところで倒れていたのかと尋ねてみました。そうして、彼女が絵描きさんで、色んな地を一人で旅しながら、見た景色や出会った者、心を動かされたものを絵に残しているのだということを知りました。さらには、その絵を誰かに売ることで食べてきたのだ、ということも。色んなことがアオイちゃんに驚きをもたらします。それは、(ミドリちゃんは私とそうかわらない歳の女の子なのに、自分でお金を稼いで生活しているなんて、すごい)という尊敬のまじった驚きであったり、また、(私の故郷の他にも、小人の暮らしている場所があったんだ。私がまだ会ったことのない小人が、世界にはまだまだ生き残っていたんだ)という希望に満ちた驚きであったり……とにかく、このミドリちゃんとの出会いは、アオイちゃんに対して、とても大きな意味を持っていました。
「アオイさんも何か買わない?」
「でも私、お金なんて持ってないから……」
「なあんだ。ま、お金がないのは私も一緒だけどね。絵を買ってくれる人どころか、アオイさんの前で最後に人に会ったのなんて、いつだったかもう覚えてないもの」
「へえー……苦労してるんだね」
「でも、そう悪いことばっかりでもないわ。売るあてがないのも度を越すと、お金にするのを考えずに絵と向き合ういい機会になるのよ。それより、あなたこそ苦労してるんじゃない?なんか、幸薄そうな感じだし…」
「あ、あはは…そう見える?」
実際、アオイちゃんは2年前に母親を亡くし、一人故郷である小人の里を出て行ってからというもの、とても辛く、厳しい生活を強いられ続けてきました。それでも……それこそアオイちゃんだって、辛いことばかりではありません。あかねちゃんが友達でいてくれることが、今では大きな心の支えになっていますし、今日、こうして久しぶりに自分以外の小人と会うことができたというのは、とても喜ばしいことです。
でも、とアオイちゃんは考えます。もし、あかねちゃんにも、ミドリちゃんにも出会えないまま、ずっとひとりぼっちで暮らしていたとしたら、今頃自分はどうなっていたんだろうと。きっと、心が壊れてしまっていただろうと思います。だからやっぱり、辛いことはあっても、アオイちゃんは自分が不幸であると思ったことはありません。曲がりなりにも、こうして普通に生きていられている。それだけで、幸せなことだと思うのです。
それから、ミドリちゃんは両手を合わせて、上目遣いに尋ねてきました。
「ね、しばらくここに置いてもらえない?掃除でも洗濯でもなんでもするから!」
それに対して、アオイちゃんは少しだけ目を丸くしましたが、すぐににっこり笑って答えます。
「もちろん大歓迎だよ!あと、そんな気を遣わなくてもいいよ、ミドリちゃんが一緒にここにいてくれるってだけで、すごく嬉しいんだもん」
「でも、それじゃあ私の気が済まないわ……そうだ!私がここにいる間、あなたのために何か絵を描いてあげる!それならどうかしら?」
「えっ、本当に!?」
「あなたは命の恩人だもの。それにお近づきのしるし、ってところかしら?」
お近づきのしるし、いい言葉だとアオイちゃんは感じました。ミドリちゃんは、私と友達になりたいと思っているということです。そしてもちろん、アオイちゃんもミドリちゃんと友達になりたいと思っています。
新しい友達もできそうで、今日は素敵な日になりそうです。このことを早くあかねちゃんにお話しして、そしていずれは、三人で仲良く遊べるときが来るといいな、とこの時は前向きに思っていました。
「でも、こんなに人間の家に近いところで暮らすなんて、ちょっと危険じゃない?」
「うーん……今のところそんな感じはないけど」
「あのねえ、そんな甘い考えじゃだめよ。見つかってからじゃ遅いんだから」
ミドリちゃんは呆れた風に言っています。実際、彼女のいうことはもっともです。以前のアオイちゃんであれば、それに対して素直にうなずいていたはずです。
「で、でも……人間がみんな、そんな怖い人だとは限らないんじゃないかな?」
ミドリちゃんはまだ、そのことを知らないのでしょう。以前の、いつもひとりぼっちで、人間に怯えながら生活していたアオイちゃんのように。やっぱり、ミドリちゃんをあかねちゃんに会わせてあげたい、と思いました。それはただ、二人に仲良くなって欲しいというだけではなくて、心優しい人間の存在を、その目で見て知って欲しかったから。
「あなた、なに言ってるの?」
けれど、返ってきたミドリちゃんの声は、震えそうになるくらいに冷たく、鋭いものでした。
ムードの一変したのを、アオイちゃんは肌で感じます。
「いい?私がここに来るまでの長い間、他の子と出会うことがなかったくらい、私たち小人が数を減らしてしまったのも、あなたがこんなお世辞にもいいとは言えない環境で生活させられているのも、全部人間のせいなの!好き勝手に自然を壊して、私たちみたいな弱い種族を虐げて、乱獲して、見せ物にして……そんな人間たちのどこが信用できるっていうの?」
ここまで聞いて、アオイちゃんはようやく、彼女が以前までの自分と同じように、ただ人間を怖がってあんなことを言ってきたのではなかったのだと気づきました。きっとミドリちゃんは、人間が「怖い」のではなく、人間が「嫌い」なのです。
何か言いたくても、何も言い返すことが出来ませんでした。一つは、ミドリちゃんと喧嘩がしたいわけではなかったから、もう一つは、ミドリちゃんは間違ったことを言ってはいなかったからです。
(そんなの分かってるよ。だって、お母さんが病気になったのだって、きっと本当は人間のせいなんだもん……)
最近、あかねちゃんが勉強していた「こうがい病」。その症状や発症の原因には心当たりがありました。それで、アオイちゃんは気持ちが抑えられなくなって、あかねちゃんの横でそのことを言ってしまったのです。そのあとでハッとしました。(そんなこと、あかねちゃんに言ったってなんの意味もないのに……)
「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……」
でもその時、あかねちゃんが悪いわけではないのに、まるで自分が罪を犯してしまったかのように、涙を流して謝ってくれました。嘘の涙を流すような子でないことは、アオイちゃんもよく知っています。
「…ありがとう。あかねちゃんは、本当に優しいんだね。大丈夫。だからって私、あかねちゃんを恨んだりなんかしないよ。ね、だからもう泣かないで、顔を上げて」
「だって…だって……っ」
もちろんあかねちゃんが謝ったって、お母さんが戻ってくるわけではないけれど。別の人間の罪を自分の罪と感じ、アオイちゃんの痛みを自分の痛みと感じられるくれる彼女の優しさが、アオイちゃんの心を温めてくれたのです。
(…ミドリちゃんの言う通りだよ。みんながみんな、あかねちゃんのような人間でないことだって分かってる。私たちのような小さな生き物のために泣くことのできる人は、どれくらいいるのかな……。でも、そういう子だって確かにいる。私はそれを知って欲しいだけなんだよ…)


