家を発ったのが6時40分過ぎで、学校に着くのが7時ころ。
ブラバンの朝練は7時10分から始業ギリギリの7時55分まで、音楽室で行われる。初めの5分にタンギング練習をやって、それからパートごとの練習をし、最後の10分で全体練習という流れ。10月の運動会にマーチングで演奏する『Sing,Sing,Sing』という曲だが、夏休みの間も定期的に活動があったため、完成度は大分高まってきていた。
「ゆーなー、何か悩みでもあるの?」
「えっ?」
朝練が終わって、通学帽子を被った他の児童たちに混ざって5年2組の教室に向かっている時、並んで歩いていた知里にそう尋ねられた。菅谷知里。切り揃えた前髪におさげ、そして挑発的な細い目が印象的な彼女は、優奈の1番の友達で、パートも同じアルトホルンだった。
「なんか、練習中ずーっと心ここに在らずって感じだったし、今もそんな感じじゃない?」
「えー、そぉ?」
「違ったらいーんだけど」
優奈の頭を悩ませていたのは、やはり男のことだった。安全かつ快適かつ人目につかない場所が、他にあっただろうか。最優先すべきは人目につかないということだが、かと言って引き出しやベッドの下に住まわせるなどもってのほかである。
知里のアイデアも聞いてみたいところだが、事情を正直に話すわけにもいかず、逡巡する。
「実は私、虫を飼いはじめたんだけど……」
そう切り出した途端、優奈の予想通り、知里は苦い顔をした。
「え、てかさー、ゆーなも虫苦手じゃなかった?」
「そうなんだけど、色々あったってゆーかー……」
「虫ってどんなやつ?」
「こんくらいの?」
優奈は、親指と人差し指で「つ」の文字を作って、そのサイズを示した。
「なにそれちっちゃ、ほぼアリじゃん。じゃなくて?あ、テントウムシ?」
「まあ、みたいなやつ?でー、今虫かごに入れて飼ってるんだけど、お母さんに飼うの反対されちゃって、仕方ないからどこかに隠して飼おうってなってるんだけど、いい場所が思いつかなくてー……」
「ふーん」
興味がなさそうな返事が返ってきたところで、2人は教室につき、それに合わせたように始業(正確には10分間の読書タイムの始まりだが)のチャイムがなった。
「何かいい場所ない?」
「まー、考えとくー」
あまり期待できなそうである。ため息をついて、優奈は席につき、引き出しのカゴから読みかけの青い鳥文庫を取り出した。
ところで優奈は、昨晩心菜から虫かごを借りた時のことも合わせて、人に説明するときは男を虫扱いすれば問題なく済むということを、無意識のうちに学びはじめていた。


