男は、こだわりばかり強い小児性愛者であるということ以外に、何の備考も必要としない取るに足らない人間であった。いくばくか若い時分には彼も創作を嗜んでいたが、最近ではそれすら億劫に感じるまでに腑抜けてしまった。
「おはようございまーす」
「こちらお手隙でご確認お願いします」
「すいません、今日中にやっときます」
「お疲れ様でーす」
毎日が同じことの繰り返し。向上心もなく、かといって逸脱するわけでもなく。
彼は他にもマゾヒスト、縮小フェチという三重苦を背負っていたが、無論それらを同僚に告白しているわけでもないため(パイオツが好き、などと冗談めかして言うのとはわけが違う)、やはり取り立てて面白いところもない普通以下の人間、というのが周りからの評価であった。
男には、退勤後の日課があった。それは、職場近くの家電量販店に赴き、ポータブル縮小機の売り場を眺めること。
ポータブル縮小機の普及に伴い、縮小機の誤作動、というのが、20XX年の縮小フェチ創作の最もポピュラーな導入となっていた。つまるところ、彼はそれと同様のことが現実にも起こることを夢見て、これまでに生活費を除いた私産の大半を縮小機の購入のために投じてきたのである。戦績は0勝138敗。パチンコでもうつ方がまだ健全と言えるだろう。
この日もまた、何千、何万の連敗よりも大きな1勝を求めて、割高で形のある宝くじを一口買って行った。
彼が初めて縮小機を初めて手に入れた時には途方もない夢への第一歩に胸を高鳴らせたものだが、今では数取器を一つ進める作業に等しくほとんど何の感情も抱かなくなっていた。
寄り道を経て、平日彼が自室に帰ってくるのは20時を回る頃だった。白色灯の下、売れ残りの惣菜の入ったレジ袋を鳴らして懐から鍵を探る。少し防音の緩い壁の向こうの隣の部屋からは、慎ましくも温かな団欒の声が聞こえる。昼間には無かった肌寒さを少しだけ感じた。
鍵を開けて部屋に入ると、むさくるしい男の生活臭が彼を出迎えた。
革靴を脱いで大雑把に向きを正す。足元には仕事用のも含めて男性用の靴が三足。そしてどうせ誰も訪れないからと、賑やかしにネットオークションで買ったマジックテープの靴が一足離れた位置に置いてあった。
まず汗を流し、その後で贔屓のマリーンズの試合を流しながら、買ってきた惣菜と冷やしていたビールを頂くというのが、このごろの男の習慣であった。彼は特段熱心なファンでもなかったが、野球中継は他の紋切り型のバラエティ番組よりは晩酌の退屈や孤独から目を逸らすのに都合が良かった。
晩酌が済み、画面には敵軍の勝ちパターンのリリーフ投手が映し出されていた。実況のアナウンサーが連続無失点記録がどうだの言っていたがもはや試合への興味は失せていた。
食べ散らかした惣菜をテーブルに残したまま、彼はもう一方のレジ袋から、おもむろに139個目となるポータブル縮小機を取り出した。
縮小機の形状はメーカーによって様々であるが、男が最も多く集めているS社(男の主観では最も信頼できない、つまり都合のいいメーカーであった)のものは、形状もサイズ感も一般的なコンパクトデジカメに近い。操作面はどのメーカのものでもおおよそ変わりはない。対象の情報を縮小機で読み取り、リンクさせ、縮小機の画面側で対象の縮小率を設定し適用するといった具合である。
男は縮小機を起動し、日時などの簡単な初期設定を終えてると、これまでにない違和感を覚えた。
通常、ポータブル縮小機はあらゆる無生物を縮小可能、といった代物ではなかった。縮小可能なモノには、縮小機での読み取り専用のコードが必ず取り付けられており、コードのないモノはそもそも縮小機で読み取ることができないはずであった。だから、20XX年では、このコードが付属していること、つまり縮小可能であるということが、商品の付加価値のひとつとなっていたのである。
男はいつも、コードが存在するテレビで縮小機の挙動を確認していた。今回も例に漏れずそのつもりでいたのだ。
しかし、起動した縮小機が真っ先に読み取ったのは、惣菜の容器が乱雑に散らばった丸テーブル。このテーブルには、コードなどどこにも取り付けられていないはずであった。
この時の男の心境といえば、一桁ずつ宝くじの一等の照会をしていき、下3桁まできてもまだ一致している時のようなものだろう。もしかしたら、と期待するな、が自身の中で拮抗する。
はやる気持ちを抑えながら、彼は一度その場を離れ、冷蔵庫に常備してあったボトル入りの飲料水を、むせ返りかねないほどの勢いで喉に流し込む。眠気を覚ましたい時や、昂る気持ちを鎮めたい時、彼が行なっている儀式のようなものだった。
ボトルを口から外し、一息つくと、正面の冷蔵庫の表面に映る、自身の顔が目に入った。いかにも、世の中から見向きもされないような男性の面であった。しかし、そんなこともどうでも良くなる可能性を考えると、たちまち薄気味の悪いにやけ面に変わっていく。
彼はもとの所に戻り、満を持してテーブルの縮小を決行した。
次の瞬間、何かの音の塊が静寂を打ち壊した。なんの音かといえば、テーブルに散らかっていた食器や、飲み残しのあったビール缶が床上にぶちまけられた音であった。
目の前からは、それらを支えていたはずのテーブルだけが忽然と消えた……いや、そうではない。男の心当たりの通り、逆さに覆い被さった使い捨て食器の下に、人差し指の先にちょうど収まるような寸法となった、あの丸テーブルが発見されたのである!男が試みに指に力を込めると、それはのビスケットのかけらのようにあっけなく砕けてしまった……。
矢も盾もたまらず、自室から飛び出していた。夜風に吹かれても、熱は少しとして冷めることはない。男は勢いそのままに、マンションの斜向かいに位置する公園に来た。そして、四顧を繰り返し、誰の目のないことを確認すると、植え込みの陰に身を隠した。
テーブルの縮小で、おおよその最高倍率は把握できた。1/100。男の身長にこの縮小率を適用すれば、1.7センチ。一般的な成人男性の指先から第一関節までの長さが2センチほどであるから、それよりもさらに小さいことになる。
彼は想像する。つまりそれは、指先ですり潰すのにもっとも都合の良い小ささということでもあった。
この数字に、いったい何の不満があるだろう。だからあとはたった一つ、縮小が生物にも適用されるのかを確認できれば良かった。
もちろん、無差別に人柱を選んで実験するという考えもあった。ここから少し歩けばこの時間は不良学生の溜まり場となっているコンビニがある。しかし、それを実行に移せるほど男には悪の才能が無かった。だから彼は、街路灯に吸い寄せられ、飛ぶ力も使い果たしもう長くはないという甲虫を拾い、それを実験材料にした。
結論から言えば、実験は成功に終わった。胡麻粒となった虫は男の手のひらの感情線に引っかかり身動きが取れなくなっていた。
はじめ、縮小機は実験体を、テーブルのようにすんなりとは読み込まなかったのだ。いくらリーダーを近づけたとてそれは変わらず、冷や水を浴びせられた気分になりかけた。しかし、普段は諦めの早い彼だが、この時ばかりは粘り強さを発揮した。あらゆる角度、距離から探し、彼はついに縮小機の反応にたどり着いたのだった!
右手に縮小機を握りしめて、男は自室に戻っていく。小1時間寒気に晒されていたせいか、静まり返った廊下にくしゃみが鳴り響く。さながら祝砲のように景気のいいくしゃみであった。
部屋の鍵を開ける時、いつもなら5秒とかからないのに、鍵穴にうまく鍵を差し込めずに30秒もかかった。この手の震えが、呼吸の乱れが、風邪による悪寒のせいではないことは自明だった。
いったい、この日が来るのをどれほど待ち侘びたことだろう。
あとは、あとは自分自身への反応を確認するだけ、それで……。
男の仮説では、あの縮小機は、ある特定の身体の部位をコード代わりにして、対象の生体情報を読み取る仕組みになっていた。その部位とはつまり「目」。昆虫の目は哺乳類に比べて判別がつけにくく、あの時、縮小機がなかなか反応を見せなかったこととも辻褄が合うし、事実彼が試行錯誤の中で目に焦点を当ててスキャンを行ったところ、初めて成功したのである。
ポータブル縮小機には内カメラのような機能は付いておらず(メーカーが想定していない使い方であるため)、男は洗面台に取り付けられた鏡の前で縮小機を操作していた。
まず、鏡の向こうの自身に向けて、縮小機をかざしてみる。しかし、縮小機は鏡そのものを読み取るばかり。これは男も想定済みだ。
——では、そのまま縮小機を翻し、生身の自分にかざしたら?
(…………!!)
男は息を呑んだ。
ディスプレイに、これまでのスキャンでは映し出されなかった表示が次々と出現し始めたのだ。まるで、男のゴールを彩るエンドロールのように。
性別:男
推定年齢:32
身長:171cm
体重:73kg
BMI:24.96
………
自身で記憶している値と多少のズレはあるものの、それらは全て男の身体に関する情報だった。
もはやこの異常事態が、偶然によって引き起こされたものではないことは男の目にも明らかだった。
何者かが、意図的に生物縮小までをも可能にする文字通り規格外の性能を持つこの縮小機を、市販のものに混入させた。
誰が、一体何の目的で?
いや、そんなことはどうでもいい。
大事なのは、それが今、自分の手にあるということ。
……
縮小後の推定値
身長:1.71cm
体重:73mg
エンドロールの締めを飾ったその表記は、男の動悸を加速させた。
ミリグラムという単位を最後に見たのはいつだったろうか?1円玉一つで1gというのだから、想像を絶する軽さである。1円玉が、1トンの鉛になる世界。1トンの鉛が、罰当たりな子供の指先で弾き飛ばされる世界。
そして何よりもこの、1.71cmという悪魔的な数値!
今や、男は数字を見ただけで濡れることができた。そしてとどめは、次のような真に迫った赤文字で記された警告文だった……。
!注意!
一度人体縮小を行うと、元に戻すことはできません。なお、縮小後の事故につきましては一切の責任を負いかねます。
実行しますか?
【実行】 【キャンセル】


