算数のプリントを済ませて、席を立った時にも、心菜はまだあの人を見つけられていないらしかった。
きょろきょろと動き回る視線がわたしの方に向くと、彼女は泣きそうな声で言った。
「ねぇね、こびとさん見つからない……」
こうして泣きついてきたのが、鬼として相手を見つけられない悔しさからでないことは分かる。「こびとさん」が自分のせいで逃げ出してしまったのではないかと、不安で仕方ないのだろう。
わたしはそれに対して、どう応じてやるべきか計りかねていた。
正直に言えば、彼が本当に逃げたというのであればそれで良かったのだ。あの人が勝手に出て行って、勝手に雀の子にでも啄まれようと、もはやわたしの知ったことじゃない。
でも実際には、まだこの部屋のどこかに潜んでいて————今もきっと、わたしのことを見ている。そんな状況を見過ごしておくこともできない。
はぁ……。ひとつ、ため息をつく。
多分、わたしが彼を見つけるのは簡単だ。方法は、いくつか思いつく。でも、どれもあまり実践する気にはなれないようなものばかりだった。
「……分かった。じゃあお姉ちゃんも一緒に探すから。わたしはこっち見ておくから、ここちゃんはあっちお願い」
「うん……」
心菜は、素直にわたしの指示に従った。
別に、役割分担をする必要なんてなかった。ただなんとなく、今からすることを妹に見られるのが恥ずかしかったから。
……恥ずかしい?
わたしは一体、何を恥じらっているのだろう。こんなの毎晩、習慣として行ってきたことにすぎないのに。
そしてわたしは、気が進まないながらも————左足の靴下を脱いで、床に落とした。
ぱたっ。着地する音が、わりに大きく立った。今日履いていった靴下が、膝丈で少し重さがあるというのもあったけれど、わたしは意図して、音が鳴るようにそれを落とした。あの人の耳に、届くように。
続けて、右足の靴下も脱いで、重ねるように落とす。両足の裏に、初冬のフローリングの冷たさが直に伝わり、ほんの一瞬、目を覆った。
そして今、わたしの眼下には、自身の脱ぎ捨てた一足の靴下が置かれている。
紺色の地に、アクセントのように入れられた一本の白い直線。それはくちゃくちゃになった繊維に合わせて、見る影もなく崩れている。口のゴムの付近に刺繍された小さなハートのアップリケも、中に飲み込まれてしまって、もう見えない。そして、紺色だった地の一部は薄白くくすんでいて————すっかり、汚れてしまっている。
わたしはそこから、目を逸らすようにして歩き出す。
ぺた。ぺた。ぺた。一歩、わたしの素足が床を踏むたびに、そんな音が立てられる。
「こびとさーん。出ておいでー」
どこに向けてでもなく、そう呼びかける。
自分で発しておいて、その感情のこもっていない声が、少しおかしかった。
そういえば前にも、こんな風にあの人を探したことがあったっけ。あの時はもっと、色々な感情に追い立てられていたような気がするけれど。
三度ほど、呼びかけを繰り返すと、わたしはそっと、背後を振り返る。
————いる。
目を細めて見ると、視線の先に、小さなゴミのような点がひとつ。
罠と知ってか知らずか、ゴミのようなそれはゆっくりと、しかし確実に、数十センチ先の、わたしの脱ぎ捨てた靴下に向かって進んでいた。
「————ねえ。ここちゃん、あそこ、」
わたしの声に、傍らで背中を丸めて床面を探していた心菜が反応する。
顔を上げて、わたしの指が示す先をしばらく見つめていたが、やがてその表情がぱあっと明るくなる。
「…………こびとさん!!」
気づくやいなや、心菜は飛び上がるようにその方に向かって行った。
……本当に、小さな怪獣って感じ。床に散らばったおもちゃ達を蹴飛ばしながら接近する妹の姿を見て、わたしはそう思う。
怪獣の襲撃に気づいたらしい小さな影は、踵を返して逃げ始めていた。けれど、虫取り網を振るように叩きつけられた心菜の手の下に、あっけなく捕われていた。
「こびとさん、つかまえたー!もう逃げちゃだめだからねー」
無くしたおもちゃを見つけて、はしゃぐ心菜。
その横で、わたしはひとり、使い終えた靴下を拾い上げる。
……これで、よかったのかな。
わたしはまた、胸に問う。
去年の冬に買ってもらった、お気に入りの靴下だった。だから本当は、こんなことに使いたくはなかった。
結局、あの人に触れられることもないままに終わったけれど、わたしは何か、洗濯したってもう二度と消えることのない汚れが、その靴下についてしまったような気がしていた。


