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4話(終)

5.雪解け

今朝は、昨晩に降った初雪が積もっていた。

毛糸の手袋や長靴に加えて、インフルエンザが流行っているのでマスクという格好で、わたしは家を出た。 

時刻は朝の6時半をすぎた頃。いつもは億劫な朝練だけど、今日に限っては、雪景色を独り占めできるのが少し嬉しい。 

はあっ。 

マスクを外して息を吐けば、白く色づいて、また消える。 

足を踏み出せば、長靴が雪の中にずぶりと沈んで、綺麗な靴跡を作り出す。 

歩いているだけで楽しい。雪の日は好きだった。 

 

今日は、新学期が始まって最初の授業日だった。 

曇り空で陽の差さない教室には、午前から蛍光灯の灯りがつき、黒板の脇では、 

昨日から導入された筒型のストーブが灯っている。 

ある者は雪に浮かれ、ある者はうとうとと眠気に誘われ、わたしは……そのどちらもだった。 

 

そんな日の午後。 

積雪でグラウンドが使える状態ではなかっため、5時間目に予定されていた体育は、保健の授業に変更になった。 

3階の廊下の1番端にある、視聴覚室。ネイビーのカーペットが敷かれたその室内に、上履きを脱いで足を踏み入れると、かすかに埃っぽく、それでいてどこか心の落ち着くようなにおいが鼻をくすぐった。 

授業が始まると、カーテンが閉められて暗くなった室内の壁に、プロジェクターによってビデオが映される。タイトルは『私たちの心とからだ〜男女の違いを理解しよう〜』。 

 

《……思春期になると、性ホルモンの分泌が活発になり、心とからだに様々な変化が現れます。例えば、男子は、声変わりや、髭が生えてくるなど、女子は、乳房が膨らみ、……》 

 

体育座りで、出席番号の順に並んだクラスの子たちは皆、静かにスクリーンの映像を見つめていた。時折列の後ろの方で、ちんちん、なんて囁いて、クスクス笑う声も聞こえた。 

タイトルの通り、男女間で性差があるということを教えるというのが、このビデオの目的らしい。 

例えば女子なら、月経の時期になると感情が不安定になるだとか、男子なら、女子に比べて性的な欲求が起こりやすく、そうして分泌された精液は体外に排出する必要があるだとか。 

そうした性差をからかったり、差別したりしないようにすることが大事であると、このビデオは伝えていた。 

 

授業が終わり、わたしたちは教室への道をまばらになって歩いていた。45分の間、暗い部屋でビデオを見せられていたのだから、ちょっとした映画を観た後のような心地だった。同じような気分でいるのか、どこかゆったりとした足取りで歩んでいる子が多いように見える。そしていつもより、口数が少なかった。特に、女子たちは。 

 

 

「ねーえ、生理ってもう来た?」 

 

あまり空気を読まない性格のうっぴぃが、一緒に歩いていたわたしと、ちさとに聞いてきた。 

 

「まだ」 

 

振り向きもせず、ちさとが短く答える。 

 

「わたしも〜」 

 

続いてわたしも答える。 

 

「よかったぁ、みんなまだなんだ。だって聞いて?こないだ1組の莉愛に聞いたら、4年の時に来たって言うんだもん」 

「マジ?はや……」 

「人によるんじゃん?塾の友達でももう来てるって子いたし」 

 

わたしは思い返す、ちょうど今日のブラスバンドの活動から、4年生の子達が体験で参加していた。でもわたしたち5年生に比べたらまだ小さい印象だし、6年の先輩たちに比べたらなおさらだ。あの子たちの中にも、もう大人になっている子はいたのだろうか。……もちろん、そんなことは聞けないけど。うっぴぃが特別なだけで。 

 

その時、前の方で、男子たちの騒ぐ声が聞こえた。 

 

「こいつボッキしてまーす!」 

「バッカ、やめろマジで!」 

 

廊下を走り、通り過ぎる人たちに言いふらして回っているのが1人、それを止めようとしているのがもう1人。 

 

「バカだね〜、男子は……」 

うっぴぃは呆れたように言う。そう言いながらも笑っていたけれど、おそらくああいった男子を心の底から軽蔑しているであろうちさとは、初めから彼らが存在していないかのように、目もくれていなかった。 

 

「ねーふたりはさ、おちんちん見たことある?」 

「……はぁ?」 

 

うっぴぃの問いかけに、わたしとちさとの反応が重なった。 

 

「てかちさとは、トシくんのおちんちん見たことあるでしょ?」 

「死ね」 

 

「トシくん」というのは、ちさとの同い年のカレシのことだ。ちさとはわたしたちに話すとき、彼のことを「大塚くん」と呼ぶのだけれど、LINEで「トシくん」と呼んでるのをうっぴぃに見られて以来、ことあるごとにそのことをからかわれている。 

 

「……ていうか、それを言うならゆーなの方がいつでも見れると思うけど?」 

「え、わたし?」 

「ほらー、あのペットがいるじゃん」 

 

いたずらっぽく、ちさとが言う。 

 

「たしかに、見放題じゃん。いいなーっ」 

 

うっぴぃまで。 

2人の中ではもう、あの人はわたしのペットだということで通っているらしい。 

……ペットと言われてすぐに何のことか分かってしまうわたしも、似たようなものか。 

 

「見ないってそんなの……それに、もう妹にあげちゃったし」 

「ええっ、なんで!?もったいなっ」 

「なんでって、」 

 

色々な理由があって、色々な経緯があった。 

それを説明するのに、ちょうどいい言葉は何だろうと考えて。 

 

「……ロリコンだから?」 

 

わたしは、そう答えた。 

 

「えぇー、いいじゃ〜ん!すぐ懐いてくれそうで」 

 

ミミズでもオケラでもロリコンでも、自分に懐いてくれればそれでいいというのがうっぴぃの考えらしい。そして、いつもは彼女をたしなめる役目のちさとまで、それもそうか、真面目に頷いている。……わたしが、おかしいのかな。 

 

「でもさー、そうなると今度は、心菜ちゃんが危ないね」 

「まっさかぁ。6歳だよ?」 

 

ちさとの言葉を、わたしは笑って否定する。言った本人もまた、本気で危ぶんでいるようには見えなかった。 

 

「あーあ、ウチも早くおむかえしたいなぁー。小人ペット……」 

 

教室に近づくにつれて、休み時間の活気が少しずつ廊下に現れ始めている。 

うっぴぃのぼやきは、そんな活気の中に、人知れず流れていく。 

 

あの縮小機に関する報道がされてから、早2ヶ月。わたしたちの生活にも変化が見え始めていた。 

案の定といえばいいのか、縮小機を利用した犯罪も徐々に起こり始めていて、社会は少なからず混乱に陥っている。あの人が白状した、眼を通じて人体の情報を得るという仕組みもすでに解明されていた。その影響もあってか、サングラスや目深な帽子などがファッションとして流行ったりもしている……らしい。 

幸い、わたしの身近なところでは、まだその被害にあったという話は聞かない。けれど身を案じてのことか、以前より外に出て遊ぶ子どもは少なくなっていた。 

一方で、あまり事態を重く受け止めていない子もいる。というか、わたしくらいの年齢だとそういう子の方が多いくらいかもしれない。 

小人のペットを手に入れたがっている、うっぴぃもその1人だ。……たぶんそういう子たちにとって、ニュースの中の出来事はあくまでニュースの中の出来事で、自分たちだけは安全圏にいるという意識が、どこかにあるのだと思う。 

小さくなった人を見つけても、勝手に持ち帰ってはいけません。警察の人に届けるようにしましょう。 

そういう指導がわたしたちの学校でも行われたし、各所でも同様の注意がなされている。けれどそれにどれだけの効果があるのかは分からない。また裏を返せば————世の中に、被害者の小人を私物化してしまう人間が、それだけ存在するということでもあった。