9.卒業、引越し……
それから、月日は流れ。
「ここちゃん、お姉ちゃんちょっと遊びに行ってくるけど、留守番頼んでいい?」
「はーい。いってらっしゃい」
今日は土曜日。朝から友達と遊ぶ約束をしていたわたしは、自転車に乗って待ち合わせ場所に向かっていた。
少し前まではこんな風に、休みの日でも学校の友達と外に遊びにいくことなんてできなかった。その理由は、心菜の面倒を見ていなければならなかったから。
でもあの子も、あと2ヶ月も経てばもう2年生。まだまだ手はかかるけれど、1人でお留守番くらいはできるようになって、ちょっとずつ、わたしの肩の荷も降りてきている。
もうちょっと家族の時間も持てるようになればいいなと思っているけれど、それだって、あともう少しで叶いそうだってところまで来ているのだ。
「おはよー」
「おはよー」
「ごめん、待った?」
「んーん、わたしたちも今きたとこ〜」
待ち合わせ場所には、既に2人の女子が先に到着していた。
ふぅ(坂井風香ちゃん)と、莉乃(中村莉乃ちゃん)。6年で仲良くなったクラスメイトだ。
そこにわたしと、おそらく遅刻であろううっぴぃを加えたグループで、今日はお出かけ。
……ちなみに補足しておくと、クラスが違うだけで、別にちさとと疎遠になったわけではない。彼女は彼女で、今月の頭に行われた女子御三家と言われる超進学校の入試に合格して、塾のチラシに名前が載ったりしていた。友達として誇らしい。……なんて、ちょっとおこがましいかもしれないけど。
仲の良い友達同士で、お買い物したり、アニメの映画を見たり、プリクラ撮ったり。
たぶんわたしたちくらい歳の女子にとっては、特別な要素なんて何もない、いたって普通な遊び方なのだと思う。
けれどそんな普通な遊びを、なんの気兼ねなく楽しめるということは、わたしにとっては何物にも変え難い特別なことだった。
ようやく手に入れた矢先に、もうじき一区切りを迎えようとしているそんな日常を、わたしは、噛み締めるように過ごしていく。
昼下がり、ショッピングモールを後にしたわたしたちは、休憩がてらに近所の公園に立ち寄っていた。
入口の邪魔にならないところに自転車を置いて、荷物かごから、ポーチや買い物袋を取り出す。目の前の遊びに時間を忘れてしまうような過ごし方はもちろん楽しいものだけど、ベンチにでも座って、購入したグッズや雑貨の類を見せ合うゆったりした時間も、それはそれでいいものだ。
……そう思っていたところに。
「……うわ」
1番乗り、とばかりに公園に駆け入った莉乃から、そんな声が漏れた。
遅れて入ったわたしたちは、彼女のその、忌々しげな視線を追う。
公園の隅、木陰に置かれた一台のベンチ。
その上に、くしゃくしゃの新聞紙を布団がわりに、見すぼらしい身なりの大人が1人、横たわっているのが見えた。
「あー……」
後ろのわたしたちは、絵に描いたような苦笑を浮かべて顔を見合わせた。
「……サイアク。あのベンチもう座れないかも……」
「……ねー上山公園の方にしない?」
「……そうだねー」
その場で顔を寄せ合って、ヒソヒソと囁き声の会議を開く、わたしたち4人。
「やば、見てんじゃん。マジキモい、早く行こ……」
後ろを窺っていたふぅが、タイムキーパーよろしくそう言って、解散を促した。わたしたちもそれに異存はなかったから、促されるままに公園を後にした。
去り際。最後尾にいたわたしは、不意に気になって、背後を振り返る。
ふぅの言った通り、件の浮浪者はベンチから起き上がって、何も言わずにこちらを見つめていて。
どうしてか。
他の誰でもない、わたしの方を見ている。そんな気がして。
「ゆーな、どうかした?」
うっぴぃの声に、はっと、我に帰る。
「……んーん、なんでも。いこいこっ」
スタンドを蹴って、地面を蹴って、わたしたちは次なる目的地へ走り出す。
青空の下の、のどかな住宅地に、4台の自転車が競うようにチェーンの巻く音を響かせる。
車の通りの少ないこの道に、走行を妨げるものは、何もなかった。予定外の出来事でさえも。
「あんな迷惑なヤツ、ちっちゃくなっちゃえばいいのにねーー」
隣を走っていたふぅが、風に乗せるように言った。
そんな彼女は、あの浮浪者が本当に蟻のように小さくなって自分の前に現れたら、迷いなくその靴で踏みにじってしまうのだろう。
ふぅのその発言は、わたしたちの誰にも拾われることはなく、風の向こうに流されていった。もう、皆の興味は次の遊び場へと向かっていて。言った本人でさえ、そのことで話を広げる気はなさそうだった。
出会ったことすら、この中の誰もがきっと、今日の夕飯時にはもう忘れてしまっているのだろう。
ただ、わたしひとりを除いて。


