優奈の足の裏の味を知った、あの一件以来、男は彼女の机の引き出しの中で飼われていた。
いや、飼われている言えるかどうかすら怪しい。なぜなら、引き出しの最奥に無造作にしまい込んだまま、優奈はクリップケースを一度も出さなかったからであった。
そんな処遇でも、男が飢え死にすることはなかった。はじめは暗くて分からなかったが、ケースの端には、ハサミで容器ごと小さく切り離したゼリーが置かれていた。単純に量だけで見れば、今の男にとっては数週間分にもなる食糧兼水分だった。ぶどう味で、それなりに美味しかったが、これが昆虫用のゼリーである可能性については考えないようにしていた。
優奈はそのようにエサこそ与えてくれたものの、娯楽までは与えてくれなかった。
赤青鉛筆、スティックのり、カスタネット、自由帳、ポケットティッシュ。引き出しの中は優奈の私物で溢れかえっていたが、クリップケースから出ていきそれらに触れることも叶わない。
いつか男が脱出に使ったケースの天井の穴も、呼吸のための隙間を残して、大部分がガムテープで塞がれていた(このガムテープ張りが何か今の優奈が男に向ける目線を全て物語っているような気がした)。
なので娯楽といえば、時折り引き出しの向こうから聞こえるくぐもった喋り声に耳を傾けることと、引き出しが開かれ、まばゆい光とともに引き出しの中に侵入してくる優奈の美しい手を、ただひたすら亡者のように拝むことくらいだった。
そんな生活が、何日も続いた。
もう、今が昼なのか、夜なのかも分からない。
外からは、優奈とその幼い妹が、楽しそうに笑い合う声が聞こえてくる。
ぼくを取り残して、彼女たちの、佐藤家の日常は過ぎていく。
——かわいそうに。捨てられちゃったんだよ、お兄さん 。
いつか、あの優奈の友達の女子児童がそう言ったように。
自分が捨てられたことを悟るには、十分すぎるほどだった。


