そうだ、ぼくは確かにあの時、縮小の成功に舞い上がるばかりで、証拠の隠滅のことなど微塵も考えていなかった。いやそれ以前に、小さくなってから優奈に拾われるまでの間に、縮小機を目にした記憶がない。
おそらく、縮小の最中にぼくの手を離れ、足元に落ちていたはずだ。縮小が進むにつれてぼくの意識は希薄になっていったが、そういえば何か、カシャンという衝撃音が聞こえたのをうっすらと覚えている。それからすぐ、ぼくの抜け殻と化したスーツやスラックスによって、持ち主もろとも覆い隠されてしまったのだろう。
つまるところ、縮小機を蟻の視点から見上げるのは、これが初めてだった。 ぼくの片手に収まっていたはずのそれが、今では一軒家以上の大きさとなってぼくの前に立ちはだかる。もはや自分の小ささに対する驚きもないが、それでも、かつての所有物を前にすると、格別応えるものがあった。そしてそれはどういうわけか————今、優奈の手に渡っている。
「あぁこれ、——さんのスーツを片付けた時に見つけたんです。」
ぼくの心を読んだみたいに、優奈が言った。
思い返せば、縮小初日、ぼくは確かにその事後処理を優奈に任せていた。そこであの縮小機を拾っていたとしても、何ら不自然な話ではない。
ただ、それなら。
なぜそのことを優奈は、今までぼくに報告しなかった?
そして————なぜ、今になってぼくにそれを見せてきた?
「見覚え、ないですか?」
優奈は、この縮小機と、ぼくの現状の関連を疑っている。
いや、おそらくほとんど、確信に近いところまで来ているのだろう。
ぼくはいよいよ追い詰められる。
崖際でナイフを突きつけられたように。
裁く人。裁かれる人。
純粋な子ども。穢れた大人。
ヒトと、蟻。
今のぼくと優奈の間には、1.7と145という算数上の差以上のものが開いていて、彼女自身もまたいよいよそれを自覚し始めているように見えた。
それだけに、ぼくを追い詰めるのに余念がなかった。
「——さん?」
優奈からの重圧に押し潰されそうになる。
洗いざらい吐いてしまって、楽になりたいという気持ちもどこかにあった。
けれど客観視すると、ぼくの犯した行為はあまりに人の道を外れすぎていた。
中年男性が、隣に住む家庭の、小学5年生の娘に飼育されたいがために、自ら人生も、社会的責任も放棄して小さくなったということ。
それを知った当の娘は、何を思うだろうか。
ぼくが彼女の立場なら————2度と視界に入れることすらしたくないだろうと思う。
その恐怖は、優奈の喪失の恐怖ばかりは。巨人の重圧すらも凌駕するものだった。
「……そうですか。」
優奈が、ため息まじりに呟く。
ぼくの選んだ答えは、言うまでもなく「いいえ」だった。
優奈の手が、ぼくのいる方に伸びてくる。
思わず目を覆う。その手に拘束され、さらなる尋問を加えられるものだと疑わなかったから。
けれど、予想していた力が、ぼくの体にかかることはなかった。
ただ————おそるおそる目を開けると、傍に置かれていたはずのあの縮小機が、かわりに姿を消していた。
ピピピっ。
その時。頭上から響いたのは、場違いな、けれど聞き覚えのある電子音だった。
「……あ、これがスイッチなんだ。へえー」
胸がざわつく。
見上げた先、彼女の手の中の縮小機に、緑のランプが灯っている。
起動状態を示すサインが、灯っている。
「あ。すみませんわたし、1回使ってみたくって。うちでは、高くて買ってもらえないから……」
ぼくの目線に気づいてか、優奈はそう言った。どこかきまりの悪そうな笑いを、その顔に浮かべながら。
でも分からない。なんで君が、そんなことを言い出すのか。
君は分かっているはずだ。それがただの縮小機ではないということを。一度試してみたいとか、そんな軽々しい気持ちで触っていいものではないということを、分別のある君ならば、理解しているはずなのに。
「わあ、こんな感じなんだー。縮小できるものが検知されて、えーっと、机に、ペン立てに……あれ?」
ぼくの抱える違和感を他所に、優奈はその危険物を、まるで遊ぶように操作していき、そして。
「——さんも、対象になってる……?」


