水道水の、全身が張り詰めるほどの冷たさを感じながら、わたしはシンクにたまった食器や調理用具をひとつひとつ洗っていく。
かしゃ、くしゅくしゅ、じゃーっ。かしゃ、くしゅくしゅ、じゃーっ……。
静かな夜の台所に、そんな音が繰り返される。
皿洗いほど嫌な作業ってあるのだろうか。つまらないし。疲れるし。冷たいし。汚いし。物寂しいし。綺麗に洗っても、またすぐに汚れることが決まっている、虚しい作業。
でも、わたしがやらなくちゃいけない。わたしはこの家の「お姉ちゃん」なんだから。
……ちゃぽ。
スポンジが泡立たなくなり、水を止める。手を伸ばして、流し台の奥にある洗剤のボトルを取り、反対の手にもっていたスポンジに口を向ける。
ふしゅ、ふしゅっ……
……出が悪い。かろうじて今日の分は足りそうだけど、後でお母さんへの伝言用のボードに書いておかないと。
絞ったために、少し凹んだボトルを、もとあった場所に置く。そして、シンクの中に視線を戻す。
排水口が詰まって、溜まった水。浮いた油汚れ。お皿は、まだあと半分くらい残っている。
はぁ。わたしはひとり、ため息をつく。
……お姉ちゃんって、ほんと、嫌な役回りだな。
————こびとさん、わたしが飼うことにするから。
わたしの独断による決定に、心菜はもちろん意義を唱えた。
もう食べないよ、言うこと聞くよ、と、涙ながらにわたしに訴えていた。ちゃんとお世話してるのに、なんで、とも。
実際、「遊び」の内容はともかくとして、心菜は「こびとさん」に関するわたしの言いつけをある程度忠実に守っていた。だから少し心苦しくもあったけれど、わたしはその言い分の一切を聞き入れることなく、最後まで押し切った。心菜は、ほとんど、癇癪を起こしたように泣きじゃくっていた。
あの子のためにはこれで良かったのだと、何度も自分に言い聞かせていた。
……でも、もう、嫌われてしまったかもしれない。
不運にも、というべきなのか、今日は月に一度の、わたしが夜ご飯を作る日だった。……と言っても、お母さんが書いてくれたメモになぞって作っていくだけなのだけれど。献立は、麻婆豆腐と中華スープ。あとは白ご飯。
作るのは面倒だけど、できたものを食卓に並べて、家族と一緒に食べるのが楽しい。それが、わたしにとってのお料理。
でも今日は、その逆で。一人のキッチンより、心菜と二人きりの、無言の食卓の方が憂鬱だった。
「……ねえここ、今度ママに、ペットショップ連れてってもらおうよ。そしたらさ、メダカさんとか、ハムちゃんとか、買ってもらえるかもしれないし。ここちゃんが欲しいんだったら、わたしからもお願いしてみるから」
わたしが話しかけても、心菜は「いらない」とぶっきらぼうに答えるばかり。会話は、それきりだった。
……心菜だって。
わたしの心の中を、黒い渦が巻く。
心菜だって、いつもわがままばっかりのくせに。でもそれは全部、無邪気さで片付けられて。
わたしが一回でもわがままを言えば、こんな風にそっぽを向かれて。お母さんにも怒られる。
……お姉ちゃんなんて、嫌なことばっかり。
沈黙に包まれた食卓に、カトラリーの冷たい金属音だけが鳴り続ける。
「ごちそうさま」
わたしよりも先に、心菜はそう言って席を立った。皿を見れば、わたしへの当てつけみたいに、麻婆豆腐がまだ半分残っている。
ちゃんと残さず食べな、と、離れていく小さな背中を呼び止めようとするけれど、いつもなら簡単に言えるそんな言葉が、喉の奥に詰まって、出ない。
ひとり食卓に残されたわたしは、すっかり冷めてしまった料理を、口に運んでいく。
心菜の味覚に合わせて、辛さ抑えて作った麻婆豆腐。
でも、抑えすぎたのか、あまり味が分からなくなっていた。


