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4話(終)

皿洗いを終えて、入浴と歯磨きも済ませて、部屋に戻る。明かりをつけると、既に布団を被っていた心菜が、その中で小さく、寝返りを打つ音がした。

心菜を起こさないように、時間割を揃える。全て済ませてから、机の上に置いていたスマホに触れると、9時42分と表示されていた。少し早いけど、ちょっとyoutubeでも見たら、わたしも寝てしまおう。

2段ベッドの梯子を登る。そのまま、枕に頭を預けようとした時、脇に置かれていたクリップケースが目に入る。……そういえば、心菜が取れないように、没収した後、ここに置いていたのだった。

(……もう、これもいらないよね)  

べりべりっ。 

ケースの蓋に貼っていた「こびとさんのおうち」のラベルを剥がして、くしゃくしゃに丸める。 

遮る物の無くなった蓋の上から中を覗けば、あの人が床面に転がっていた。剥がす時の振動に耐えられず、倒れてしまったのかもしれない。 

 

蓋を開けて、ケースを逆さにすると、その小さな体が、ぽとりと、シーツの上に落ちる。しばらくじっと動かなかったけれど、やがて彼は、シーツの皺に足を取られながらも、のろのろと進み出した。そして————無意識に置いていた、わたしの手の親指に、抱きつくように触れた。 

少しばかり、こそばゆいような感触。子猫のように無邪気に、わたしの指に頬擦りをしている。 

わたしははじめ、黙ってその様を眺めていたけれど、少しずつその間抜けな仕草に、苛立ちが芽生えてくる。 

……全部、この人のせいじゃん。心菜に嫌われたのも。わたしの気分が晴れないのも。 

全部、全部、ぜんぶ。この人さえ、いなければ。 

 

ぴっ。 

わたしは人差し指で、親指の先に付いたあの人をはじいた。 

3センチ先に飛んだあの人は、痛みで、尺取り虫のようにのたくっている。 

構わず、わたしはもう一度、あの人をはじいた。今度は、デコピンで。5センチくらい飛んで、ますます痛そうにしている。 

途端に、今までの全てがどうでもよくなっていた。わたしはなんで気を遣っていたんだろう。こんな雑魚に。こんなクズに。こんなロリコンに。こんな虫に。 

もう一度デコピンして。飛んで、痛がって。またデコピンして、飛んで、痛がって。何度も何度も繰り返して。えいっ、えいっ。しねっ、しねっ。と、無心に呟きながら。 

胸のすく思いがする。本当はずっと、心のどこかに、こういうことをしてみたいという思いがあったのかもしれない。あるいは、小さなあの人を拾ったあの日から。 

やがてそうするのにも飽きてきた頃には、あの人はボロ雑巾のように動かなくなっていた。 

 

(……死んだかな) 

 

興味も失ったわたしは、パジャマのポケットからスマホを取り出して、仰向けになって、youtubeのアプリを起動した。 

インフルエンサーの人が、最近発売されたコスメを紹介している動画を、ぼーっと眺める。……わたしの家では、買ってもらえないだろうけど。だからこそ、こういう動画を見るのは好きだった。それに、この人は昔、母子家庭の長女として育ったらしくて、勝手にシンパシーを寄せていた。今は色々思う通りに行かなくても、大人になればこの人みたいに、好きなことができるようになるのかな。そんな風に、勇気をもらうこともあった。 

16分の動画も、あと残り2分というとき、左手の指に、こそばゆい感触を覚えた。 

動画を止めて目をやると……やっぱり、あの人だった。満身創痍になりながらも、さっきみたいに、わたしの親指に甘えるように頬擦りしている。 

ため息をついて、スマホを閉じる。 

まだ生きてんたんだ、と思った。でも不思議と、さっきまでのような嫌悪感が消え落ちていた。ヒトの大人としてさえ見なければ、わたしの指にも勝てないか弱い生き物が、ただじゃれているというだけのことだった。 

だからか————はじめて、ほんの少しだけ、この生き物に興味が湧いた。 

わたしはそれを右手の指で摘んで、顔に近づけて、観察してみる。 

分かっていたけれど、本当に小さい。かろうじて拘束の外にある足の先が小刻みに動いていたけれど、それより上は、微動だにしていない。わたしの指の間に、挟まれているというより、埋もれているといった方が正しそうなくらいだった。 

しばらく見つめていると、ふと、目が合う。その瞬間、かろうじて動いていた小さな足が、ふっと止まるのが見えた。 

そして。 

 

(……あ、) 

 

埋もれていて、目には見えないけれど。どこかコリコリとした感触と、位置で分かった。 

あの人が、わたしの人差し指に、おちんちんを擦り付けだしたことを。 

わたしの指先で。わたしに見つめられて。切なそうにして。あの人は「射精」を行なっている。 

 

……はっきり言って、気持ち悪いと感じないわけではなかった。でも、彼のこの「射精」行動に、少しは寛容になってあげてもいいのかもしれないと、わたしはどこかで思うようになっていた。今日の5時間目の保健の授業で、それが男の子にとって必要な行いであると習ったというのもある。それに、こんな小さな生き物が何をしたところで、結局は、取るに足らないこと。 

蚊やダニみたいに血を吸うことも、ゴキブリやハエみたいに雑菌を媒介することもない。やることといえば、こうしてわたしの指におちんちんを擦り付けて、ほんの少し湿らせるだけ。 

その程度の生き物に対して、いちいち青筋を立てる必要もないということに、わたしは今更にして気づくのだった。 

それだけのことを許すことができなかったから、6歳の妹に矛先が向く、なんてことが起きてしまった。だから、もうそんなことにならないように————わたしが、この人の「射精」の面倒を、見てあげるしかないのだ。これからは、この人の、飼い主として。 

 

……それにしても。 

ずいぶんと「射精」に時間をかけているみたい。こうしてただ見ているだけ、というのも退屈に感じてくる。それに案外、片手を固定したままの状態は疲れるものだった。 

手っ取り早く「射精」させる方法が、思い浮かばないわけじゃない。その実例を、ついさっき、わたしはこの目で見たばかりなのだ。そして————奇しくも、そうするのに頃合いの高さに、あの人を擁するわたしの指が、浮いている。 

 

ためらいがあった。 

常識とか、道徳とか、衛生とか、性のこととか。何も知らなければ、きっと心菜みたいに気安く実行できたのだろうけど……わたしは違う。それをしてしまえば、今わたしの指先で悶えている小人が「悪い大人」であるように、わたしまで「悪い子」になってしまうような気がして。 

なのに。わたしがこの手を降ろさないのは。かすかな、胸の高鳴りを感じるのは。 

たぶん、心のどこかで、そうしたいって思っていたから。ほんの小さなものだったとしても————「悪い子」になってみたい、って気持ちがあったから。