一度だけ、学校で見つけられそうになったことがある。6年に進級して、はじめての水泳の時間のこと。
更衣室で靴下を脱いだ際に、優奈は気付かずに、中にいた男を落としてしまったのだ。
その頃には既に、つい入れていることを忘れかけるくらいには、男の存在がつま先に馴染んでいた。学校で靴下を脱ぐ機会など滅多になかったから、気の緩みもあった。
優奈が自身の過失に気づいたのは、40分後、水泳の授業を終えて、ロッカーから巻きタオルを取り出そうとした時のことだった。
「やだ……虫いるっ……!」
近くにいた女子から、そんな張り詰めた声が上がるのを聞いて、咄嗟に、優奈は振り向く。
青ざめた表情で、一点を見下ろす少女。その視線の先に、1匹の小さな不快害虫。————優奈はすぐに、その虫が、自らのペットであることを悟った。
優奈はその女子とあまり話したことはなかったが、比較的、大人しい子という印象を持っていた。ある程度の常識も、おそらくは、持ち合わせている子だった。だから、足元の小さな点が、哀れな被縮小者であると分かっていれば、彼女は手を差し伸べていたかもしれなかった。
けれど。普段かけている眼鏡を、プールから上がったばかりの彼女は、かけていなかったのである。
人間様に目をつけられて、その虫は、分かりやすく固まっていた。もっとも、怯えていたのは彼女も同じであったから、ここで逃げ出せていれば、平和に事が済んでいたのかもしれない。
早々に去ってくれれば、彼女にとってはそれが1番だったのだ。いつまでも消えてくれないなら————駆除するしか、なかった。
踏み下ろされた足。反射的に飛び退き、紙一重で死を逃れる虫。
何が起きたのかまだ理解できずにいたその虫に、容赦なく、次の足が踏み下ろされる。
びちゃっ、びちゃっ。
水に濡れた子どもの裸足が、タイルの床に打ち付けられる音が、はしゃぐような周りの児童たちの声に紛れて、ひっそりと響く。それは傍目からすれば、喜劇的に見えなくもなかっただろう。だが当事者にとってはそうではない。何度も、何度も、踏み潰されそうになりながら、男は命からがら、すのこの陰に逃げ込んだ。
潰し損ねた腹いせに、その子はすのこを、2、3度踏み鳴らした。
天井が激しく揺れ、足裏の雫が降り注ぐすのこ下で、男はうずくまって、ガタガタと震えていた。
その一部始終を、優奈は見ていた。視線に気づくと、その子は、曖昧な笑いを浮かべ、気まずそうに着替えに戻っていった……。


