11.餌付け
服従の儀が終わると、男は、拳に収まるほどの小さなアロマ瓶の中に幽閉された。蓋をつける必要もないと思われているらしい。
冷え込み始めた10月。ガラスの表面が、触れた肌を震わせる。温かい空気も届かず、繊維の一切れも与えられず、裸で過ごすには過酷な環境。
そんな男に与えられた唯一の娯楽は、ガラスの外の、新しい飼い主さまを眺めていることだった。
暖房の効いた部屋で、温かそうな乳白色のニットのパーカーに身を包んだ彼女。小さく揺れる女の子らしい袖口。
こんな環境に置かれていると、あの袖の中に潜ったら一体、どれくらい温かいのだろう、などと考えてしまう。
そのちさとは、男には目もくれず、黙々と勉強をしている最中だった。学校の宿題を早々に片付けて、今は何か別のテキストを進めているようだった。2時間ほどずっとそうしていた。
母と思しき女性の声が夕食の時間を告げ、テキストをしまう時に、その表紙がちらりと見えた。下の方に、SAPIXという文字が書かれていた気がした。
ちさとが部屋を出ていき、それからまた机の前に戻ってきたのは、およそ1時間経った20時半頃だった。
下ろした髪の毛。パステルピンクのふわふわパジャマ。
あんな屈辱を受けた後なのに、お風呂上がり実に女の子らしいその姿に、どきどきしてしまう。
席につくと、彼女は化粧水や乳液を取り出して、スキンケアをはじめた。慣れた手つきから、彼女がそれを日課としていることが分かる。優奈も化粧品の類は持っていたが、最近の小学生は進んでいるなと、つくづく感じさせられる。
男は化粧というものが嫌いであったし、子どもであればなおさら、素のままの自分を大事にして欲しいという思いがあった。けれど、化粧をする小学生という概念に、魅力を感じているのも事実だった。
そんなちさとに阿呆のように見惚れていると、不意にその手が伸びてきて、逆さにした瓶の中から物のように出された。
いつの間にか、スキンケアは済んでいたらしい。何をされるのかと戦々恐々としていた男の前に、ちさとの人差し指が置かれる。
その指の腹に、何か付いていた。どろどろとした液状のもの。
彼女がこれで何をしようとしているのか、はじめは分からなかった。だが、傍に置かれていた容器のラベルを見て理解する。
「ベビーフード」——市販の、離乳食。
男は狼狽える。
まさか、これを食べろと言っているのか。
それも、容器に盛られたり、匙に取られたりではなく、指の先に付いているものを、犬のように舐めろ、と————。
できるはずがない。
土下座をさせられるのとは訳が違う。あくまでも、土下座は人のなすことなのだから。
けれど、そう訴えるべく、ちさとの顔を見上げると。
にこり。と、彼女はあの、悪魔の微笑みを浮かべる。
(ひ、)
悪寒が走る。
食べなきゃ、食べなきゃ。3時間前を思い出した脳が、サイレンを鳴らしている。
逆らえない。恐怖に駆り立てられ、体が勝手に動いている。
昨日まで顔も知らなかった、歳の離れた女の子に、調教されていく。
ぴちゃ、ぴちゃ。
屈辱を押し込めるようにして、ちさとの指に付いたエサを舐める。
カタツムリのフンのような、食欲をそそらない色をしている。ほうれん草とか、レバーとか、ピーマンとか、とにかく栄養価の高い食材を色々混ぜ合わせているのだろう。
嫌にぬるい。そして、不味い。
そりゃそうだ。だってこんなもの、大人の食うものじゃない。
赤ちゃんが食べるものだ。
それを、こんな風に舐めさせられて。
その始終を観察されて。面白がられて。
昨日まで、優奈と一つ屋根の下で幸せな生活を送っていたはずなのに。
一体、どこで何を間違えて、こんなことになってしまったのだろう。
ちさとの指についた離乳食は、小さじ1/3の量にも満たなかったが、それでも今の男にしてみれば、どんぶり3杯は優に超える量だった。
うち、どんぶり1杯分のところで、男の食は止まってしまった。ただでさえ食の細い男が、これ以上食べ進めるのは無理そうだった。
「お残しですか?」
その声に、身がすくみ上がる。
冷や汗が落ちる。
無駄なコミュニケーションを必要としないちさとが、口を開いた。その意味の大きさを、考えずにはいられない。
それが、疑問文ではなく命令文であるということも、当然ながら男は理解していた。
食べるしかなかった。
涙を流しながら、くそ不味い乳幼児用の餌を、食べなければならなかった。
戻しそうになっても、死ぬ気で飲み込まなければならなかった。
この高貴なる少女の、桜の花びらのように美しい指先を、自分の吐瀉物で汚してしまうようなことがあったらと、考えただけでも恐ろしかった。
そして、米粒一つ残すことも、ちさとは許さなかった。だから、最後の方は、薄くついた離乳食と一緒に、指の表面も舐めるような形だった。
ちさとの指は、ほんのりと塩気がして、離乳食よりもずっと美味しかった。与えられた餌を食べ尽くした後も、口直しにと、しばらく夢中になってその指だけをちろちろと舐めていた。
おいしい。おいしい。


