16.訣別
ずっと、悪夢を見ていた気がする。永遠とも思えるような悪夢を。
見えているようで、見えていない。感じているようで、感じていない。自分が生きているのかどうかさえ分からない。確かなものといえばただ一つ、ちさとという少女の存在。ちさとがその世界の全てで、その世界の全てがちさとで。いつしかそれが当たり前になっていた。悦びも、悲しみも、痛みも、意思も、思考も、言語も、愛も、全てちさとによって与えられるもので。ずっと昔から、そしてこれから先も、そんな世界の中に在り続けるものだと、疑わなくなっていた。
男は思い出した。
今ここに存在する自分のこと。この目に見えている現実世界のこと。そして————本当に、自分の全てだったものを。
一目見ただけで、何もかも思い出した。
懐かしい、優奈の顔。
その顔を拝んでいるだけで、心に立ち込めた瘴気が晴れていく。
「……う、あ……ゆ……な……ゆ、な……」
優奈の名を呼ぼうとする。しかし、悲しいことに、長いペット生活の中で、男は人語の発し方を忘れてしまっていた。
(優奈、優奈、優奈。ああ、やっと会えたね、優奈……)
心の中で、何度も、愛しいその子の名前を呼ぶ。
そう、やっと会えた。
地上から見上げることしかできなかったあの日とは違って。今自分は確かに優奈の目を見ていて。優奈も確かに自分の目を見ていて。男はついに、本当の意味で、優奈との再会を果たしたのだった。
視線の先の、乾いた唇が、おもむろに動き出す。
優奈の口から、全ての苦しみの終わりが告げられようとしている。
振り返れば、本当にたくさんの苦しみがあった。あるいはこれからも、その後遺症に苦しめられることになるのかもしれない。全てを忘れるには、男の受けた傷は、余りに深く大きかった。
でも、優奈がこうして、助けに来てくれた。今はそれだけで、胸がいっぱいだった。
そんな思いを噛み締めながら、男は、優奈の第一声を待った。
「すごいね。小人ってほんとにいるんだ。私、はじめて見た。」


