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3話

2.潜入

「ダメですよ」

にべもなく優奈は言った。

優奈の学校に連れて行ってほしいという、男の懇願に対しての返事だった。

日曜の夜。机の上に立ち、マイクに向かって話す男と、椅子に座ってそれを聞く、パジャマ姿の優奈。その背後では、次女の心菜が既に眠りについていた。

男の本心はただ一つ。小学校での、教室での優奈を知りたかった。

休み時間に友達と最近の流行り物の話をする優奈を、担任の先生に当てられて国語の教科書を淡々と読み上げる優奈を、音楽の時間にリコーダーでエーデルワイスを吹く優奈を、どうしても見てみたかった。

けれど、当然そんな想いを優奈本人に伝えるわけにもいかなくて、建前として、1人で残されるとまた心菜に何をされるか分からない、と主張した。

録音を介しての会話ゆえに、2人のコミュニケーションにはいつも微妙な間が存在する。優奈が男の声を再生し、聞いている間は、決まって沈黙が訪れる。

その沈黙は時に、審査員の点数を待っている時のような、親に成績表を渡した時のような、事前の緊張感をもたらす。

「心菜には、私からもう一度強く言っておくので、その心配はいらないと思います。学校の方が、それこそ何があるか分からなくないですか?……とにかく、——さんの頼みでも、そればっかりは聞けないです。すみません」

「あ、ああ……いや、そうだね、ごめん。変なこと言い出して」

撃沈。そう言われては、もう男は引き下がるしかなかった。

粘り強く食い下がろうとしなかったのは、駄目でもともとのつもりで聞いたことだったというのもあるが、それだけではない。

優奈の声のトーンの変化に、不穏な気配を感じたからだった。彼女に飼われ始めてから1週間になるが、そんな声は一度も聞いたことがなかった。

じっさい、優奈は男の突拍子もない提案を、良くは思わなかった。口では学校の方が危険だからと言ったが、本音はそうではない。私生活の中でさえ、男のことで色々と気を揉まなければいけないのに、学校生活にまで入り込んできて欲しくなかった。

それに、先日の一件で負い目があるとはいえ、妹を厄介者扱いするような言い草も、聞いていて気分のいいものではなかった。

分かっていた。

優奈に見捨てられては、生きていけないということは。

今は平穏無事な……とは言わずとも、最低限度の生活を送らせてもらえている。優奈の優しさのおかげで。けれど、忘れてはならない。自分がすでに、人生という遥かな崖の下に落ちてしまっているということを。

優奈の顔色を伺って、優奈の善意に寄生して。そうすることでしか、生きていけないということを。

分かってはいたのだ。けれどもう、手遅れだった。