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3話

男の学生時代の記憶と相違なければ、下駄箱は普通、学年ごとに分かれているはずだった。

ならば、今男の目に映る脚は、全て優奈と同じ、小学5年生の児童のものということになる。

全部で何本あるのか、数える気も失せる。少なくとも男女合わせて10人は、下駄箱の前に屯たむろしているように思えた。

10人?

1人でも、100倍大きくて。大人の渾身の抵抗を、1000000倍の指の力で軽々と押さえつけてしまう子どもたちが、10人もいて。その中で、生き残れと?

よー!

いって、なんだよっ。

お前今日さー……。

ずんっっ。

目の前に、靴が踏み下ろされる。

男もよく知っているメーカーの子供用シューズ。

大人から見れば、半分おもちゃのような靴。

そんなものが起こす風圧で、男は10歩分の距離まで吹き飛ばされる。

そして————あと少しでも靴がずれていたら、なす術もなく圧死していた。

(あ、あ、た、助け、)

ぱこんっ。

男の背後で、破裂音のような音がした。

咄嗟に振り返ると、

ぱこんっ。

もう1発。男の1歩前に、空っぽの上履きが落とされた。

軽く見積もっても、リムジンバスの重量を超えている。

そんなものが、予告もなく、空から落ちてくる世界。

なにそれ、かわいーっ!

いいなーっ。

いいでしょ、これねー……。

上履きの持ち主たちは、きゃっきゃと笑っていた。

自分の上履きで、ひとりの人間が命を落としかけたということも知らずに、笑っていた。

その事実に、狂いそうになる。

(に、逃げ、逃げっ……!)

ずんっっ。

逃げた先で、また踏み潰されそうになって。

びりっ。びりっ。

どこかから、マジックテープを剥がす音が聞こえてくる。

(いやだ、しぬ、やめっ……!)

ぱこんっ。

さらにまた逃げた先に、空っぽの上履きが降ってきて。

ずんっっ。

ぱこんっ。

ずんっっ。

あはは。

ずんっっ。

ぱこんっ、ぱこんっ。

ずんっっ。

びりっ。

ねーっ。

ずんっっ。

どかっ。

ばきっ。

ぱこんっ、ぱこんっ。

うっそぉー?マジー?

ずんっっ。

ぱこんっ。

びりっ。

………

……

逃げ惑い、踏まれかけて、吹き飛ばされて、蹴飛ばされて。

体力も、精神力も、とうに限界を迎えていた。それでも、立ち止まることは即ち死であるから、走り続けるしかなかった。

早く安全なところに行きたかった。けれど、どこを見ても脚、脚、脚で、方向感覚を失っていた。

小学生の脚という樹海の中で、遭難していた。

こういう状況を夢に見たことがないといえば嘘になる。

キャラクターでもなければ、モブでもない。1人1人が自立していて、それぞれの人間関係や家庭環境があって、小人などいるはずもない現実世界の中で、意思を持って生きている。そういう小学生たちが、よってたかって無意識に、自分を踏み潰そうとする。

それに。この無意識の蹂躙が、悪意なく誰かを傷つけてしまう、彼女たちのような年頃の子どもたちを象徴しているようで。

傍観者であったならば、これほどゾクゾクする状況もなかった。

けれど当事者である男は既に、欲情を起こす余地もないほどに、狂乱していた。その心は、やがて一つのことしか繰り返さなくなっていた。

(……元に戻りたい、元に戻りたい、元に戻りたい、元に……)

野の蟻として、一生こんな風に、人間の足から逃げ続けなければならない人生。

どれだけ受け入れたくなくてもそれは、男自身が自ら選択したことだった。