「ただいまぁ……」
その日、帰宅したのは、21時ちょっと前という頃だった。……いつもならもっと早く帰れたはずなのに、例の2人のせいで授業が長引いてしまったのだ。嫌気も差すが、3学期から大規模校に移してもらえることになっている。あと少し辛抱すればあんな講師生徒ともどもレベルの低い校舎ともオサラバだ。新しい校舎には電車で20分ほどかけて通うことになるが、まあ仕方ない。
はーぁ、疲れた……さてとっ♡
片足ずつ、ブーツを脱いでいく。
中で蒸れた足が、玄関の冷たい空気に晒されて、スースーする。生まれてこの方一度も素足履きなんてしたことがなかった私は、この感覚にまだ慣れない。
見ると、足首から下が白くなっている。黒光りするレザーのブーツに重ねると、その白さがより際立つ。汗で少しふやけてしまったらしい。……水虫の薬とか、買わないといけないかも。ちょい鬱。
そして……手のひらの上でブーツを逆さにすると、虫が1匹ぽとりと落ちた。
行く前は薄汚い肌色だったのに、今では私の足と同じ色になっちゃってる。
「ほら、起きて」
ぐったりと伸びたふりをしている小虫の体を、人差し指の爪で軽く弾く。その後しばらく待っても起き上がらないから、また爪で弾く。その次も、その次も。白くふやけた体が、少しずつ赤く腫れていくのが見える。死んでないのは分かってる。だって、綺麗な空気を吸おうとして、口をいっぱいに開けているのだから。こうしていればいつかは起きるだろう。
別に、彼が起こしてまでしたいことがあるわけでもない。でも、ご主人様の許可もなく勝手に休憩を取ろうとする奴隷には、ちゃーんとお仕置きしないとね。ああ、面白い……。苦痛に喘ぐ彼の様子が、私のストレスを癒してくれる。ほんと、この人には感謝だ。ぱちん、ぱちーん……。
「おーちさと。おかえり」
「っ!?」
心臓が飛び出る思いだった。咄嗟に、手のひらを握り締める。
声のした背後に振り向くと、トランクスとタンクトップというラフな姿で、首にタオルをかけたパパが立っていた。湯気を立てているのを見ると、風呂から上がったところのようだ。
「びっくりしたっ……ただいま、パパ」
「なんだい、そんなに驚いて。今日はずいぶん遅かったんだね」
「ま、ちょっと長引いちゃって……てかパパ、今日は珍しく早く帰れたんだ……?」
「帰れたっていうか、ここんとこずっと残業続きだったからね。上司の人に帰されちゃったんだ。今ってそういうの、色々うるさいんだよ」
「ふっ、ふーん……」
「お風呂沸いてるから、早めに入っちゃいなさい」
「はーい」
まだ、心臓がバクバク言ってる。
迂闊だった。私としたことが。
パパが帰っていたのを知らなかったとはいえ、これまで人目のつくところで小人遊びしたことなんかなかったのに。
いかに自分の中で歯止めが効かなくなっているか、よく分かった。
反省しないと——。
「ねっ、ねえパパ……」
「ん?」
「み、見た……?」
「え、何が?」
「あーいや!……ならいいの、ありがと」
パパが居間に消えていったところで、胸を撫で下ろす。
緊張のあまり、握っていた右の手の平が、ぐっしょりと湿っている。開くと、中の小人はいよいよ気を失っているようだった。


