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3話

(…………え?)

聞き間違えるはずもない。

まぎれもなく、優奈の声だった。

それに、一言一句聞き漏らすまいと、唇の動きまで追っていた。

すごいね。小人ってほんとにいるんだ。私、はじめて見た。と、確かに彼女は、そう言ったのだ。

冷めた笑みを、口元に浮かべながら。

(何を言ってるの?優奈……?)

その言葉が意味するところは明白だった。優奈は、まるで自分のことなどはじめから知らなかったかのように振舞っている。でも、なぜそんなことを?あとで皆の目を盗んで助けてくれるつもりなのか、あるいは……これは優奈なりの冗談、サプライズなのかもしれない。無視されて落ち込んでいるところでネタを明かす……ああ、そうだ、そうに違いない。優奈があんな風に笑ったのだって、全て冗談だから。そうだよね?ははは、人が悪いなぁ、優奈はははは、……。

もっとも、優奈が、自分に対してそんな冗談を言う子ではないということは、彼自身が1番よく分かっていたはずだった。

「ちさと、これ、どこで捕まえたの?」

「2組の教室。1ヶ月くらい前にね」

優奈の口元から、笑みがすっと消えた。

同時に、男のおめでたい仮説も、頭から消え失せた。

「へえ……。なんでそんなとこにいたんだろうね」

ごめんなさい。

声にならない声で、いつしか男は、繰り返していた。

久しぶりの再会で舞い上がっていた。どうして忘れていたのだろう。

私欲に溺れ、優奈を裏切ってしまったことを。

(ごめんなさい、もうあんなことしないから、だから。ねえ、許して、お願い、優奈……)

思えば、あの時の言いつけを守っておけば、奴隷の身分に堕ちることも、優奈に愛想を尽かされることもなかったのだ。それに気づいて、今更頭を下げたところで、彼女は取り合ってくれる素振りも見せない。

因果応報とは、まさにこのことだった。

「ねー見て見てー、私の指よりちっちゃい!」

ぼくの前に、巨大な指がかざされる。腰を抜かすぼくを見て、名も知らぬ優奈の友達が、無邪気に面白がる。

茶髪のミディアムヘアで、前髪はぱっつんの、ゆるふわ系の女の子。

そんな彼女は、ぼくをおもちゃとしか見ていない。

「お手、って言って指出したら、この子舐めてくれるよ」

今度は、別のところから、ちさとの声が聞こえる。

優奈ばかり見ていて気づかなかったけれど、今自分の立つこの場所は、体育倉庫みたいに薄暗い。にんげんが密集して出来上がるその影は、真夏日の木陰のような安らぎを与えてはくれない。子どもの体熱や、興奮混じりの吐息によって、人いきれが立ち込める。

見回せば、上も、横も、前も、後ろも、そして下も、巨大なにんげんの子どもたちで閉じられている。誰もがきっと、その景色に戦慄する。

そして、子どもたちはみな、ぼくを無視して、勝手にぼくの命運を決めていく。

「ほんと?小人さん、お手!……あれ?お手っ」

「ひーの手はやだって」

「なにそれー、ひどーいっ!」

少女たちのさざめく笑いが、雪崩のように降り注ぎ、ぼくの感情を容赦なく押し潰す。

人の目には見えない、少女たちの唾の飛沫が、ぼくにかかる。

小さくなってから、ぼくが本当に怖いと感じるようになったのは、踏み潰されることでも、蹴飛ばされることでもない。にんげんたちの非情な笑い声だ。あれを聞いていると、ノイローゼを起こしたみたいに頭が痛くなる。

今だってそうだ。みんなぼくを————そう、優奈でさえも2人に混ざって、控えめながら、小さなぼくを嗤っている。

「はい、お手」

今度は、ちさとがそう言って、ぼくの前に指を出す。

ぼくはちさとに、「お手」なんて言われたことはなかった。きっと彼女が今、気まぐれで決めたルールなのだろう。

できるはずがない。いつものエサやりの時間とは訳が違う。優奈が見ている前で、彼女の友達の指を、ペットの爬虫類みたいに舐めるなんて。

けれど、ぼくはちさとに逆らえない。ぼくはちさとの奴隷で、ちさとはぼくのご主人様なのだから。

たとえ、たった今気まぐれで作られた理不尽なルールだとしても、ぼくは従わなければならなかった。

「わーほんとに舐めてるー、かわいいーっ!やっぱりそういう風にしつけてるわけ?」

「まーね」

ちさとの指を舐めながら、ぼくはひたすらに念じていた。

優奈、助けて。優奈、助けて。優奈……。

でも、いくら呼びかけても、優奈は何も答えてくれない。

そればかりか、年相応にはしゃぐ2人をよそに、彼女はさっきから一言も発していない。

その訳を考えるのが怖かった。優奈の方を見ることができなかった。

ちさとのように屈折しても、もう1人の子のように、目に入る事象全てに遊びを見出すほど無邪気でもない彼女は、そんなぼくの姿を見て、一体何を思っただろう。

そして、これだけの醜態を晒してもなお、天はぼくをお許しにならなかった。